日台生活 #06 國界-guójiè-
家族で大安森林公園に向かう道すがら、年配の台湾人女性に道を聞かれる。おそらく彼女は地方から台北に用事があって出てきたのだろう。分かる範囲で道順を伝えた後に、一応自分は日本人だと付け加えると、彼女は少し驚いた様子で謝謝と言って去っていった。
なぜだか僕はよく道を尋ねられる。台湾にいるときもだ。だけども今回の僕たちは、タピオカミルクティーや台湾茶を片手に街歩きをしていて、いかにも観光客風の外国人家族に見えるはずなのだが、いったい彼女にはどういう風に見えたのだろうか。
パンデミックが少し遠い記憶になったころに、ようやく叶った家族での台湾旅行だった。日本に帰国してから僕自身は何度も仕事で訪れていたけれど、家族にとっては4年ぶりだ。旅行前には家族がどのような反応をするかと思いを巡らせていたが、実際に降り立ってみると、こちらが想像していたよりも早く家族は現地に馴染んでしまい、時の流れを感じさせない。懐かしいね、よくここに来たね、などと口に出しつつも、驚くほど自然にレストランでの注文や買い物を済ましている。あんなに上手だった娘の中国語は随分と退化してしまったが、マンゴーかき氷を頬張る姿は以前のままだ。
友人家族と再会し、公園で遊ぶ子供たちを遠目で眺めながら親同士で昔話に花を咲かせる。お互いの子供たちは二回りほどサイズが大きくなったが、毎週のように通っていた公園であの時と同じように駆け回る子供たちとを見ていると、日本に戻った4年間がなかったことのように、まるで僕たち家族もずっと台湾に住み続けていたように錯覚する。だけども、友人家族と別れた後に僕たちが帰る先は、天母[*1]ではなく市内のホテルだった。
[*1]外国人が多く住む台北郊外の住宅街、筆者がかつて居住していた地区
観光でも出張でもない不思議な5日間は瞬く間に過ぎ去り、夏休みの家族の思い出になってしまったが、日本と台湾を往来する僕の日常は続いていく。日本との会議時間に合わせて台北市内のシェアオフィスにドロップインし、会議が終わるとクライアントや前職の同僚のオフィスに向かうためにMRT[*2]に乗り込む。台湾と日本、昔の仲間と今のクライアント、リアルとリモートが交錯しながら同時に進んでいく。
[*2]台湾の地下鉄
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そんな狭間にいる僕の願いを、日本の仲間たちは快諾してくれた。日本にも台湾にも一緒に働くメンバーがいて、クライアントもその両方にいる。日本語と中国語を使い、時には自分がいる場所を忘れそうになりながら、日本と台湾を行き来する。かつての恩師への憧れから思い描き、その足掛かりとして台湾に現地法人を設立したいという僕の思いを、仲間たちは面白がって背中を押してくれた。
仕事の合間を縫って現地法人設立に必要な資料を棚卸し、押印が必要なもの、サインで済むもの、原本なのかPDFで済むかを整理する。外資が台湾で会社を設立するハードルは低いとはいっても、経済部[*3]のウェブサイトを見ながら必要な資料を揃えるのは難しい。右往左往している僕を見かねた前職の同僚が、手を貸してくれることになった。台湾人の情の厚さには、ただただ頭が下がる。登記業務を専門にしていた彼女にとって現地法人の設立はお手の物で、彼女が作ったToDoリストに沿って、手続が加速していく。
[*3]日本でいう経済産業省
親会社となるメタの登記簿や印鑑証明を用意し、外国人投資申請(FIA)の書面を作成する。前職で日系クライアントに説明していた資料や手続きも、いざ自分がやってみると煩雑さを痛感する。FIAの書面は、日本の公証役場で公証することまで求められ、公証人の前で台湾に現地法人を設立することを丁寧に話した。
一連の資料を国際郵便で日本から台湾に送り、当局に提出する。現地に赴いたときに登記住所の契約をすませ、資本金を受ける銀行口座を開設する。日本ではメタの口座から資本金を送金し、ネットバンクで着金を確認する。
高揚感と不安が入り混じりながら、双方で手続きは進んでいった。
タクシーの車窓から眺める台北の街並みには、至る所に思い出のかけらが落ちていて、当時の自分を一つ一つ確認しながらホテルに戻る。家族にとって台湾での生活はもう過去のことになってしまっただろうか。自分だけがまだ整理がつかず意地になっているだけなのだろうか。そんな思いに耽りながら、台北の街の記憶が上書きされていく。
メタの一員として台湾で何をしていきたいのかとの仲間からの問いには、まだ上手く答えられてない。過去の自分を思い出し、未来の自分を思い描きながら、時間と場所を行き来している。
公文書を受け取り、会社登記が終わったことを確認する。董事長[*4]は日本に住み、従業員はいない。オフィスも看板もまだないけれど、台北の真ん中に住所が登記されている。そんな現地法人が生まれた。
[*4]台湾では現地法人(株式会社)の代表取締役を董事長といい、筆者が就任した。
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