台湾の食べ物は美味しいとよく言われるけど、台湾料理は、日本の影響もあってか、醬油と大蒜で味付けした料理が多く日本人の口に合う。とは言っても、台湾料理を毎日食べるには油っこすぎるので、台湾在住の日本人同士が集まるのは、どうしても日本食のお店が中心だった。台湾には日本の大手外食チェーンが多く進出し、至る所で日本と同じ看板を目にすることが出来るけど、それ以外にも日本人が個人で経営する美味しい居酒屋やレストランなどが多くあり、日本の味を求める駐在員たちに重宝されている。以前は、そういったお店に行くと、お客は日本人ばかりで、まるで日本にいるかのように錯覚したものだが、パンデミックで少し様子が変わったようだ。最近では、台湾人の間でも日本食の人気が出てきたらしく、お客のほとんどが台湾人といった日本食のお店もある。パンデミックで海外旅行に行けなくなった台湾人にとっても、本場の日本食が味わえるお店は貴重だったのだろう。

日本で真冬の時季でも、台湾は春を感じさせる気温になっていて、夜は少しむっとしている。そんな折、台北郊外の日本人が経営するバーで、台湾人の友人林さん(仮名)と待ち合わすことになった。林さんは仕事の関係で最近知り合った同世代の台湾人で、日本でAI関連の会社を起業して、普段は日本で生活している。偶然、僕の台湾出張と林さんの帰省の時期が重なったので、友達を紹介するからと、台北にある彼の行きつけのバーに誘われていた。

小綺麗な店内は、日本人と台湾人のお客で満席だった。台湾での生活が長くなると、なんとなく服装だけで、その人が日本人なのか台湾人なのかが分かってくるから不思議だ。先に到着していた林さんに手招きされ、奥の席に座ると、もう一人の年配の台湾人陳さん(仮名)を紹介された。陳さん林さんよりも年齢が一回り以上も上に見えて、ずいぶん年の差のある友達だなと驚きつつも、一緒にテーブルを囲んだ。

こういったとき、台湾人は本当に親切だ。外国人の僕を(5年も台湾に住んでいた僕であっても)、とても丁寧にもてなしてくれる。2人が慣れた様子でハイボールを注文し、僕も同じものを注文する。店内には日本と同じハイボールの広告が貼られていて、台湾でもハイボールを流行させている日本のメーカーには敬意を表したくなる。自己紹介もそこそこに、お互いの仕事のことなど会話が弾んでいった。

台湾人の林さんは、日本人と結婚していて日本語が上手だ。アメリカでの留学と社会人経験があり、日本語より英語の方が得意だとは言っているが、日本語のコミュニケーションに問題はない。また、その友人の年配の台湾人陳さんの方も、日本の大学に留学経験があり、台湾の企業に就職してからもずっと日本企業の担当だったとのことで、日本語が流暢だ。

僕はというと、折角の機会だからと頑張って彼らに北京語で話しかけるのだが、彼らから日本語で返答されてしまう。悔しいが僕の北京語能力より、彼らの日本語能力の方が上だからだろう。日本語が多めの会話になってしまうのだが、なんとか北京語を話し続ける。日本人が北京語で話し、台湾人が日本語で話す会話が続く。台湾に駐在していた時の同僚とも同じような状況に陥っていたのを思い出すのだが、今思うと、どちらかが母国語を話せばいいのに、随分効率の悪いコミュニケーションをしていたものだ。

外国語を話せる台湾人の比率は、日本人よりも高い気がする。人口が少なく、主だった産業もなかった小さな島国の台湾にとって、外国人を相手にして商売することは、日本よりもずっと以前から当たり前のことだったのだろうか。彼らの流暢な日本語を聞きながら、勝手にそんなことを想像してしまう。

アルコールが少し回って言葉が気にならなくなってくると、陳さんから日本はもっと頑張れと、エールが送られる。世界での日本の存在感が低くなってるのだとか、技術者をもっと育てろだとか、日本のテレビで言われているようなことを台湾人から言われてしまう。そんなこと僕に言われてもと思いながらも、彼が日本のことが好きだということが伝わってくるから嫌みなく聞いていられる。60歳手前の陳さんにとって、日本は小さいころから憧れの場所だったのかもしれない。彼の親世代は、日本統治時代に日本人として教育されていて、戦後、中華民国になってからも日本人として育ったことに誇りを持っている人が多いと聞いたことがある。その親世代に育てられた彼らにとって、日本は台湾よりも豊かで進んだ国であり、だからこそ彼は日本の大学に留学し、日本の会社とのビジネスを続けてきたのだ。日本のことが好きで、更には日本に尊敬の念まで抱いてくれる外国人に出会うと、別に自分の功績でもないのに誇らしく思う。

同世代の友人林さんにも日本をどう思っているか聞いてみたくなって、なぜ日本で起業しているのかと質問すると、彼の会社のマーケットが日本にあるから、といった結構ドライな回答だった。彼には日本人の奥さんがいて、もちろん日本のことは好きなのだろうけど、年配の台湾人との感覚の違いは明らかだった。林さんにとっては、アメリカで学んだ最先端の技術を活かせる場所は台湾[*1]よりも人口の多い日本にあり、台湾からの距離的な近さもあって、アメリカよりも日本の方がビジネスはしやすいと判断したのだ。

[*1]台湾人口約2,326万人(202212月)(出所:外務省

僕の前で話している2人の日本語が流暢な台湾人、2人の年の差は20歳ほど、その20年で台湾人の日本に対する見方が随分と変わっている。なんだか台湾に追い抜かれてしまっていないか?日本。と感じながらも、一方で、日本人にとっても台湾への見方は変わってきたのだろう。日本で流れる台湾のニュースは増えたし、日本で食べられる台湾料理も(本場の味のお店は少ないけど)増えてきた。海外旅行先の人気ランキングで台湾はいつも上位だ。僕が台湾に駐在する9年前と比べても、日本人が台湾に触れる機会は格段に増えて、身近な存在になっている。

また一緒に飲みましょうと言って店を出て、一瞬ここがどこなのか分からなくなり、台北だったことを思い出す。日本人が経営する台北のバーで、日本語が流暢な台湾人と、北京語と日本語を使って、台湾と日本の現在と少し昔の話をしていたので、確かにややこしい。酔い覚ましに心地よい春の風を受けながら、ホテルまで歩いて帰った。