前回の日台生活では、台湾のバーで3人の人物が飲み食いをしながら、再会と出会いの喜びを分かち合い、話に花を咲かせたというエピソードが語られた。世代も国籍も扱う言葉も異なる他者との会話。この話を聞いたとき、異なるからこそ、この3人は会話することができたのだ、という逆説的なことを思った。

皆さんは、世代の話をするだろうか。僕らの世代はどういうことがあった、どういうものが流行った、そういった類の話である。昨今は、Z世代という言葉がメディアにおいてよく見られる。「若いもん(世代)はわかっていない」という言説も見られるし、総じて「若いもん」が嫌な顔をするような場面を想像することが易い。他方で、そのカウンターとして「老害」という言葉も最近は語られるようになった。どうも否定的な意味で捉えられがちだとみているが、僕自身はそういった言説を聞くことを嫌っていない。世代で一括りにすることはもちろんできないのは当然だと前置きをするとして、人と話をしているときに「世代」を感じさせることを聞くと、その人がどういう世界を生きてきたのか想像させてくれるからだ。人がどのように生きてきたのか、どのようなことに影響を受けてきたのか、どのように世界を捉えているのか、具体的な像が浮かび始める。目の前にいる人が編んできた歴史を垣間見る。

前回の話に戻ると、彼らの会話は、僕に台湾と日本の経済史を想像させた。年齢の違うもの同士、異なる世代を生きてきたのだということを感じさせる。「昔はこうだった。今はこうだった」。世代、年齢の違いだけではない。むしろ、その背後の歴史、広い意味で世代ともつながるのだろうが、それを感じさせる内容であった。

ここで、少し日本と台湾の話をしたい[*1]。この異なる2つの国家は、統治被統治の関係にあったことは多くの人が知るところだろう。また、地理的には隣の国である。だからこそ、お互いの文化を(全てとは言えないまでも)理解し、また共有している。

[*1]台湾と日本の歴史を語るには、それ相応の文字数が必要になるし、ここで書くことが望ましいとも思えない。とはいえ、前回からの流れもあり、読者の方々にも知っていただきたいという気持ちもあるので、少しだけ僕なりの理解を示しておきたい。また、「台湾」という言葉は、厳密には国家としての台湾、その土地としての台湾、民族としての台湾(人)など多義である。だが、ここではその定義をどれか一つに定めること、それを論じることを目的としていないため、厳密な定義をしていないことをご理解いただきたい。

例えば、大日本帝国が台湾を統治していた時代、日本人教師に教育を受けた台湾の者で、その後、中華民国の統治によって酷い境遇に身を置かざるを得なかった者は、日本は素晴らしい、日本に恩義がある、だからこそ今の日本の低迷ぶりには残念である、といった心情を持っているとの声を聞く [*2]。他方で、日本統治時代に恵まれない境遇であった者も当然にいる。台湾国民と言っても、複雑な統治の歴史に従って、台湾原住民、日系、中国系など、人種もさまざまな区分がなされている[*3]。政治的に堅い話ばかりを想像してしまったが、そうでなくても、台湾料理が中華をベースにしながらまた少し中国大陸の料理とは少し違うところがあるが、日本人がこれを食する機会があり、それを好む人がいるということは、文化の相互理解と共有の一つの表れである。日台間の旅行者も多い[*4]。また、ビジネスも多く行われる。有名なところで言えば、半導体やディスプレイ関連の製造業が多いという点であろうか。日本の戦前戦後の経済成長を支えた製造業を手本に、台湾の製造業も発展していったとも言われる。

[*2] 酒井充子著『台湾人生 かつて日本人だった人たちを訪ねて 』(2018、光文社) では、日本人になりきれなかったものとしての台湾人がインタビューという形式を用いて描かれている。僕も読んで初めて知ったことがあり大変に驚いた。だが、ここに書かれたことが全てではない。インタビューで受け答えが行われた、そういう発言があったという事実は存在している。しかし、インタビューの対象者の選択や発言の取捨選択については著者の解釈によるものが大きい。本著は本文にも書かれている通り、著者のある経験から始まったものであり、それを重視しているから、全てを網羅的に記述しよういうものではない。そういった理解、および、自身の政治的なバイアスについて自覚した上で一読することをおすすめする。

[*3] 台湾ではこの区分が「族群」という呼称で定着、学術研究にもよく用いられており、通常閩南人、客家人、外省人、原住民の4つに分類される。なお、原住民は台湾での正式名称である。これは、日本語の一般的な意味とは異なるものであろう(菅野敦志著『台湾の言語と文字: 「国語」・「方言」・「文字改革」』勁草書房 2012、 p.1-2)。台湾という島には、さまざまな人種とさまざまな境遇の組み合わせによって、さまざまな時代に生まれた人たちが、さまざまな心情を持ちながら生活している。当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。けれど、それが台湾という場所についての僕の理解である。いささか部分的、かつ、一側面でしかないのだが。(かなり大雑把な説明になってしまうのが残念であるが、興味がある方はぜひ脚注の文献を参照していただきたい。)もちろん台湾でなくても、日本でもさまざまな境遇の者たちが生活しているのであって、それは変わらない。

[*4]訪日台湾人の数はコロナ禍以前の2019年に過去最高の489万人、コロナ禍によって2020年は69万人、2021年には5千人と減少している(出典:台湾交通部観光局)。他方、訪台日本人の数は2019年に216万人、2020年に26万人に減少している(出典:日本政府観光局)。最新のデータを見ると、20236月は単月で38万人、2019年同月は単月で46万人であったため、渡航者数は回復しつつある。

日本で日本人たちと話していても、多くの場合、「他者と異なること」はあまり表立って語られる機会は少ないように思う。多くの時間を過ごす仕事場では、プライベートなことであっても限られた人にしか話さない、有事の時にしか話さない、政治心情や宗教については語ってはいけない、など、異なる部分を話さなくても仕事はできてしまう。何か陰謀とまでは言えないが、政治的、宗教的な事柄をはじめ、僕たちが当たり前のように受け入れている隠れた前提があるように思える。社会に適応するために必要だからか、異なることを忘れ去って、同調圧力のようなものを薄々感じとって生きている。もちろん、その異なることで起こる事象は「問題」として捉えられ、取り扱われることもある。皆さんはどうだろうか。生活をしていて、何となく他者とは語り難いこと、特に「あなたとは違う」ということを発言する、明示する機会があるだろうか。

他方で、出自が異なる、という認識は差異を明らかにする。例えば、国籍が異なるというだけで、僕たちはお互いが異なる者であるということを認識し、あらゆる局面、普段の他愛のない雑談にさえその前提を織り込んでいるだろう。異なることを前提にする一方で、お互いの共通の基盤を明らかにすることは大変に多いことと思う。でなければ、そもそも会話にならない。例えば、日本人と台湾人が英語で話す、と言ったことは言語基盤を共通のものとして行われるものと言える。お互いに日本語、台湾語もしくは中国語を、片方が話すことができるが、もう他方は話すことができない。英語であれば両者が話せる。そういった両者の「違うこと」から、「同じこと」を共通のものとして話をすることができる。「同じこと」を認識するには「違うこと」を認識しなければならない。僕の経験では、出身地、その食や文化、もしくは世代の違いについて話される時、それが確かに表れる気がしている。だからこそ、世代や場所についての話をする、ということはなかなかに面白いと思うのだ。

ところで、僕は最近、オンラインゲームをよくプレイしている。いくつかのゲームをプレイしているのだけれど、そのコミュニティで面白い出来事が起こる。その一つに、「おじさんフレンド」のことがある。

オンラインゲームでは一緒にプレイする友人のことを「フレンド」(もしくは略して「フレ」)という。SNSでいう「友達」や「フォロワー」と同じ意味である。ゲーム内やゲーム外でチャットすることができたり[*5]、パーティを組んで一緒にゲームコンテンツをプレイすることができる[*6]。そんなフレンドに、「おじさん」がいる。僕の周りで起きた「おじさんフレンド」に関する出来事や語られていることを紹介したい。なお、ここでいう「おじさん」は、僕が実際に触れたゲームコミュニティの特定の人物群のことを指しており、特定の個人や一般的なおじさん全体のことを指しているわけではない。

[*5]まずチャットには、テキストチャットとボイスチャットがある。多くのオンラインゲームでは、テキストチャットがゲーム内に実装されている。他方ボイスチャットをするにはハードやソフトによって方法は様々である。たとえば、PlayStation5®では、本体にボイスチャット機能が実装されていて、マイクをつなげばPlayStation®のネットワーク上にいるフレンドと会話しながらゲームをプレイすることができる。また、昨今ゲーム機はWindows機に移行が進んでおり、それによってDiscordを用いてコミュニティ運営やチャットを行うことが増えている。特にオンラインゲームはDiscordで攻略情報を得る、タイムリーなゲーム内イベントの通知を得る等、ボイスチャット以外にも有用である。参考までに、僕の場合、Discord内のゲームコミュニティに20以上参加している。

[*6]ゲームによるが、フレンドを招待して一緒にプレイするだけでなく、オンラインで参加申請をすればゲームサーバー側で自動マッチングして、見ず知らずのプレイヤーと一緒にプレイすることもできる。フレンドがいない状態でゲームを始めても、偶然マッチングで出会ったプレイヤーと意気投合してフレンドになることがある。コミュニティに参加したい場合には、前述のDiscordや掲示板、各種SNSで行われている募集を見て応募することになる。

おじさんは教えたがる。相手のことを気遣い、攻略のためになることをサポートしたい、という気持ちがあるようだ。他方で、自分の都合のいいように、この人と一緒に遊ぶにはどうしたらいいか、エゴイスティックに物事を考えているようにも見受けられる。特に異性に対しては非常に積極性を発揮する場面が多く見られた。ゲームタイトルの違いによって、もしくは、同一のゲームタイトルでも属するコミュニティによって、この傾向は異なる。一部のゲームについては、この傾向が強くある。

別にこれを悪いというつもりはない。むしろ、他のプレイヤーのために、自己の利益を犠牲にせずに、相手にとっても有益であるように、お互いが楽しんでゲームを進めるための配慮である。それが好きなプレイヤーもいるだろう。僕の場合、自分のプレイスキルを向上させて可能な限り自分の力でクリアしたいという気持ちが強いから、「教えたい」「クリア手伝ってあげるよ」といった方々には感謝を示しながらも、そのゲームとコミュニティからは離れてしまったことがある。

また、このようなおじさんたちのアプローチは、若い人や女性に非常に嫌われるようだ。実際、複数の若いフレンド、女性のフレンドに雑談の合間にそのような事実があったか、そして、それについてどう感じているかを聞いたことがあるが、例外なく嫌われている。何とも悲しい話ではないか。もちろん下心がないと言えば嘘になるだろうし、そもそも人間関係を構築するということはその繰り返しでしかない。とはいえ、良かれと思ってやっていることが嫌われてしまう。

この話を、オンラインゲームをやらない若い友人たちに話をしたら、驚くほどの拒絶感を示した。具体的には、彼女たちの実際の体験談をもとに、「本当にあり得ない」「やめてほしい」「何でそんな話をわざわざするのかわからない」など否定的な意見を怒りを露わにしながら僕に語ってくれたことがある。オンラインゲームであるか否かに関わらず、そういう出来事が割と頻繁に起こっているようだ。

僕は自分が「おじさん」であると認識しているから、その場で、それを聞いていると大変悲しくなる、自分だって「おじさん」の年齢と近く、自分も無意識にやってしまっているかもしれないし、自分がやられて嫌だなと思ったこともあるし助かることもある、その上で「おじさん」たちには何があるのだろうか、と彼女たちに問いかけた。1時間ほど話をして、「寂しいのではないか」という言葉が現れた。そもそも寂しいのかどうかは「おじさん」たちのみぞ知ることだけれど、たとえ本当にそうだとして何に寂しさを覚えているのだろうか。そのような話になって、話は別の方に流れていった。

さて、前回の台湾のバーで語りある三人のおじさんから、オンラインゲームのおじさん(僕を含む)まで。何の話だったか、どこで行われた話だったのか、いつの話だったのか、よくわからない状態に迷い込んでしまった。この状態で僕が何を考えているのかを書いて、この文章を終えたいと思う。

僕は、時間と空間を越えて、僕たちが語り合う場を考えてみたいと思っているのかもしれない。どういうことだろうか。いま僕たちは同じ場所で話をしている。けれども、僕たちはそれぞれが別々の時に生まれ、別々の場所にいた者だ。いまここで話している僕たちは、そういった時間と空間を超越して、それらを編み込む何者かである。それをその場にいる者たちが感じとっている。そういう場をなすことはできないか。何も特別な場ではない。食事を共にするとき、散歩をするとき、オフィスで雑談をするとき、オンラインゲームをプレイしながらボイスチャットをしているとき……いかなるとき、いかなる場所であってもこれは可能であろうと思うし、すでにやっていることでもある。前回の話でいえばバーの3人は、まさにこういうことを無意識のうちにやっていたのだろう、と僕は想像している。前回、著者は「どこにいるのだったか、いつの話をしているのか、よくわからなくなった」とも語っている。だが、話の筋は成立し、皆が話をできる状態であった。つまり、場のデザインをして、イベントやセッションの場を開こうということではない。そういう場が必要なこともあろう。それとは別に、、そういう意識で日々を生きたいのではないだろうか。目の前にいる他者と、「異なること」について話をするということだ。それは「世代」の話でも「性別」の話でも「好き嫌い」の話でも、何でもいい。「異なること」自体は、異なる他者を否定することではない。拒絶することでも排除することでもないのだ。

僕は今、そんなことを思っている。世の中の(僕も含めた)「おじさん」の願いはここにあるのか、実際のところはよくわからないのだけれど、「寂しさ」の根っこはここにあるのかもしれないと思う。「異なること」の寂しさと、「異なること」を共にすることのできない寂しさ。台湾のバーの3人は「異なること」を共にしていた、そういう気がするのだ。

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日台生活 

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