3年ぶりの台北の松山空港に降り立つと、すぐにタクシー乗り場に向かった。たくさんの人が列を作っていたけど、行灯に書かれたタクシー会社の文字が、久しぶりの海外の緊張をほぐしてくれるような気がした。順番を待ってタクシーの後部座席に乗り込むと、スマホに表示しておいたホテルの住所を運転手に伝え、シートベルトを締めた。台湾ではタクシーの運転が荒く、タクシーが猛スピードで台北市内を疾走し始めると思わず体がこわばった。それでも車窓からみえる景色はどれも懐かしく、雨の台北を眺めながら思い出にふけった。

20199月に台湾から日本に帰任して、こんなに長く再訪できないとは思いもよらなかった。パンデミック以降、台湾への入境者は14日間の隔離期間が課されることになり、隔離期間さえ我慢すれば再訪は可能だったけれども、感染のリスクを負ってまで海外に行く気にはならなかった。いつからか、台湾の衛生福利部[*1]のホームページを検索するのが日課となり、じわじわと緩和されていく隔離期間にやきもきしながら、ようやく202210月、実質的に隔離期間が開放されてからの再訪となった。台湾は、前職で駐在員として5年余り生活した場所。懐かしい人たちとの再会で涙ぐみつつ、また台湾に戻って来られて、戻って来られるような世の中になって良かったなと心から思えた。

[*1]日本の厚生労働省の機能を持つ政府機関

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しかし、今回の訪台の目的は、再会だけではない。台湾駐在で奮闘していたころを振り返る大切な時間であることは確かであるものの、それだけではない。今回の訪台のもう1つの目的は送金。台湾の銀行口座から日本の銀行口座に送金するために、僕は3年ぶりに台湾に戻って来た。

台湾では1990年代に銀行の民営化が推進されてから銀行が増え続け、未だに統合は進んでおらず、台北の街だけでも、たくさんの種類の銀行の看板を目にすることが出来る。日系の銀行では3大メガバンクのそれぞれが支店を構えているものの、取り扱いは法人口座のみでリテールは扱っていない。そういった理由もあり、給与の振込先は、前職の事務所が指定した台湾の現地銀行の口座だった。加えて、給与の支払いは全て台湾元[*2]で定められており、5年にわたって収入は台湾元のみで日本円は一切入ってこないという生活だったので、前職の台湾駐在員は皆、どこかのタイミングで口座に残った台湾元をエクスチェンジして日本の銀行に送金するというのが恒例になっていた。ただ、僕の場合はというと、帰任の時になってもなお、すぐにまた台湾に戻ってくることもあるだろうと高を括って送金しないままでいた。

[*2]正確には新台湾元(New Taiwan Dollars)、中国人民元と区別して台湾元と呼ぶ。

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パンデミックも一定の落ち着きを見せたころ、スマホで久しぶりに台湾の銀行のアプリを開くと、口座残高は確認できるのだが、操作が出来ない。いやいやと焦ってID、口座番号、暗証番号を何度も調べてみても理由が分からない。どうしたものかと、日本から台湾の銀行担当者に問い合わせてみると、どうやら銀行に登録していた居留証(外国人の身分証明書)の有効期限が切れていることが原因で、ネットバンキングを復活させたければ、更新した居留証を銀行の窓口まで持参して手続する必要があると言われてしまった。今は日本にいて簡単に台湾に戻ることは出来ない、資料をデータで送るから何とかならないかと聞いてみても、やはり融通が利かず、直接来店するようにとの一点張り。その銀行は東京にも支店を有していたため、そこにも問い合わせたみたのだけれど、答えは同じだった。

またいつか台湾に戻ったときに送金手続をしようかなと、しばらくはのんびり構えていたのだけれど、2022年に円安が進行しはじめ、様子が変わった。

過去よりUSドル/日本円と台湾元/日本円の為替相場は、ほとんど同じ傾向で推移してきた。つまり、日本円がUSドルに対して円安の時は、総じて台湾元に対しても円安になる。僕が駐在していた20142019年の為替相場は1台湾元≒3.5円ほどで大きな変動はなく、過去の30年を見ても1台湾元が4円を超えたのは一度だけだった。にも拘らず2022年が明けると、USドルに対する円安が進行するのに合わせて、台湾元に対しても円安が進み、1台湾元=4円を優に超え、夏には4.5円に迫っていた。エクスチェンジには絶好のタイミングなのに、渡航には感染リスクを負う上に、隔離期間もある。日本ではコロナの隔離期間は緩和されつつあったが、台湾での緩和は日本より遅れていた。いつ台湾の隔離期間がなくなるのかと毎日現地ニュースをチェックし、それと同時に為替相場をチェックする悶々とした日々が続いた。202210月、ようやく台湾の隔離期間がなくなることが発表され、即座に訪台を決意した。

まず、受入側の日本の銀行で手続を行う。日本側でも何かと手続が必要となる。送り元の台湾の銀行名と口座番号のみならず、現地の入出金記録の提出を求められる。直近で大きな資金の動きがないこと、つまりは国境を跨いだマネーロンダリングではないことを確認するためだ。ここ数年でマネロン規制が厳しくなったとは聞いていたが、受入側の日本で改めて実感することになるとはおもわなかった。続いて、送金元の台湾の銀行で必要な書類を確認する。銀行のカード、通帳、パスポート、そして、古い居留証と新しい居留証。3年ぶりのフライトの前に何度も持ち物を確認した。

訪台の2日目の晴れた朝、懐かしい台北の街を散策したい気持ちを抑えて、僕は銀行の窓口に座っていた。窓口の担当者は、外国人にも慣れている様子で、粛々と手続きを進めていく。新しく登録するための居留証を手渡し、コピーが取られ、必要な書類に個人情報を記載する。台湾側でエクスチェンジしてから日本の銀行へ送金するか、日本に着金したタイミングでエクスチェンジするかを聞かれて、手数料の安い前者を選択する。ネットバンキングが使えるようになったことを確認してから店舗を出る。1時間もかからなかった。随分と長い間、台湾の隔離期間と為替相場をチェックしていた気がするけど、その悶々とした生活から呆気なく解放されることになった。

今回の目的を達成して帰路に就くと、羽田空港では検疫手続のために多くの人が列になっている。入国前にWebで手続は済ましてきたものの、スマホの手続完了画面を空港職員に提示しなければならない。旅客も職員も慣れていない様子で手際が悪い。列の中には、僕と同様に現地に行かないと解決できない問題、もしくは僕よりはるかに深刻な問題を抱えて渡航した人たちが、たくさんいることを想像した。何百、何千万の人々が、様々なことを抱えて渡航している。列で待つ15分の間に、世界が少しずつ変わっていくのを感じながら、僕はイミグレーションを通過した。

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*匯款 -huìkuǎn-  中国語で振込、送金の意味

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日台生活 #01 台北餐廳