というわけで、手書きでは読みにくいと思われるので、以下、『打つ』を掲載。

2023年秋のメタキャンプは那須高原にあるゲルに宿泊することができる場所にて開催された。というより、私が幹事だったので、開催した。幹事として、キャンプの中のアクティビティを事前に考えておく必要があった。プレゼンか何かの活動報告という発信の主体が限定されてしまうようなことは極力避け、全員が主体として参加を余儀なくされることをやろう、と私ともう1人の幹事(以下、M氏)でひねくり出したことの一つが『書く』ということであった。キャンプに各々パソコンを持って来きてもらうのは面倒なので、原稿用紙をこちらで用意し、それに手書きで書いてもらうことにした。

何について書いてもらうかは事前に色々とM氏と色々練っていたが、自由に書いてもらおう、と決めた。当日、ホワイトボードに「自由に書いてください」と記し、制限時間一時間で各自が原稿用紙と向き合う。私もM氏もタイムキーパーをしながら、みんなと共に『書く』ことにした。

久しぶりの手書きにひどく戸惑った。まず、漢字が書けない。これは他の人も同じようで、携帯電話で検索しながら、うんうんと唸りながら書いていた。さらに、縦書きが久々で、原稿用紙のマス目の大きさと自分の字のバランスが取りにくい。またさらに、右利きだと、どんどんと、小指の側面が黒くなっていく。これはただ私がシャープペンを使っていたからなので、ペンを使えばいいと言われたらそれまでだけれど、左利きの人は、横書きでいつもこんな思いをしていたのかと申し訳ない気分になる。そんなことを思いながら書いていると、誰かが、『自由の不自由だな』(あるいは、不自由な自由、であったかも)と言った。書かざるを得ない状況の中で、書くことが浮かばず、筆をもったまま考えこんでいる様子の人はまさに不自由そうであった。一方で、どんどんと原稿用紙を埋めていく人もいた。

一時間は、あっという間にすぎた。回収した各自の原稿用紙をランダムにみんなに配布し、誰が書いたかは伏せながら、他の人の書いたモノを読み上げ、誰が書いたモノか当ててみる、ということをした。

他の人の書く字はクセの塊だった。もはや書いた文章の内容よりもみんなから産出されたそれぞれの字に意識が向いた。解読不能な字の人ほど、長文だった。筆が走り過ぎたために、字が残像のようだったのだろうか。読んでいる人も聞いている人までも内容というより字を解読して追っているだけの状態に近かった。字が綺麗とは言わないが、バランスの良さなのかなぜか読みやすい字というのもあった。小学生の時点で、自分の字のクセが完成したのか、そこからずっとこの形で固定されているだろう字もあった。これだけの人数(参加者10名程度)がいれば、一人くらい達筆な人がいそうなものであるが、特にそういった人は見当たらなかった。亡くなった祖父がしばしば、「字の上手いやつは出世しない。」などと話していたのを思い出した。ここにいるみんなを見れば、出世という概念が当てはまる社会にいるのかはよくわからないが、『うまくやっている方』ではありそうだったので、その場においては祖父の言葉に妙に納得してしまった。そんな祖父は大変字が汚く、毎日書いていた日記はおそらく書いた本人を含め誰にも解読されない代物だったが、かといって出世とは無縁の人生だった。

手で『書く』ことが『打つ』に取って変わられる瞬間は多くの人が経験しているだろう。『打つ』方が、圧倒的に楽である。漢字の変換、字の修正、文章の入替えが一瞬でできてしまう。手で『書く』ことはそれと比べると、とにかく時間がかかる。その面倒さゆえに修正可能性が低くなり、固定化されてしまうような気持ちになる。さらには、自分の字のクセによって、その書かれたモノが紛れもなく自分によって書かれたモノだと刻印されてしまう。『打つ』の場合も、印刷されると確かに固定されるようには思うが、実筆の字のクセの呪いの刻印まではそこには感じられない。

この原稿は最初原稿用紙に手で書き、赤入れをしてもらい、ここで、また最初から修正しながら手で書くのは面倒で仕方なかったので、一旦『打つ』(まさに、みなさまが読んでいるこちら)を挟んでから、最終、今皆さんが読んでいるこの原稿(上記掲載の原稿用紙)となっている。

自分の字は、一体いつ自分のものになったのだろうか。そしていつの間にかそいつは『打つ』ことで存在が危いものとなる。とは言っても、何かのタイミング、例えば今回のキャンプでの作文などで、そいつは存在を取り戻したりするので、つかず離れずの距離感を保ちながら一生涯、私の影のようにして、存在しているようである。

今回のキャンプを通して、最近ではめっきりと会う機会の減ったそれぞれの自分の字をたどり寄せることとなった。次はいつ会うことになるかと思いながら、またしばらく離れ離れになることを何となく知っているのであった。

M^CAMP 2023 -晩秋あるいは初冬-

メタキャンプについては、こちらを参照。