出雲”風土”記 #02 観光と観察
フィールドリサーチにて
このシリーズでは、2020年3月の出雲でのクライアントとのフィールドリサーチ(フィールドワーク)のことを書いている。前回は、移動日(調査0日目)に起きたことをもとに、「移動、食事、(そこでの)会話」に焦点をあてた。今回は、調査初日の出来事について記述していきたいと思う。
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出雲1日目の位置づけ
1日目は、ずばり、「観光する」ことを目的とした。 なぜなら、観光地で展開されているサービスについての調査が、クライアントからの要求であり、実際に観光地に行き、観光客の目線でみることが必要だと考えたからである。とはいえ、「観光客」の目線とはどういうことなのか。
ぼくたち3人は、「観光客」となり、出雲とその周辺の観光地を巡ることとなった。さあ、観光をするのだ。
まずは、実際の観光の記憶や記録をここに記しておきたい。
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朝一番の御祈祷に間に合わせるために、朝一番の一畑電車で、出雲大社へ向かう。
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出雲大社はアップダウンが繰り返される不思議な地形をしている。丘には緑が繁っていた。
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御祈祷を終えて、社殿の裏手へ。ひんやりとした山の空気に変わり、そこには須佐男が祀られている。
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稲佐の浜へ向かう神迎えの道。道沿いの住宅には一輪挿しが。海から上がってくる海の幸(神々)。ここを通る神様たちも微笑みそうだ。
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出雲そばをいただいてすぐに、ふく焼きをいただく。メタのメンバーは皆、食いしん坊。
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” 国の大体は、震(ひむがし)を首(はじめ)とし、坤(ひつじさる)を尾とす。東と南とは山にして、西と北とは海に属(つ)く。東西一百三十七里一十九歩。南北一百八十二里一百九十三歩なり。”
ー 荻原千鶴 全訳注『出雲国風土記』(講談社学術文庫)総記 より
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穴道湖畔を、西から東へ一畑電車でゆく。『出雲国風土記』にあるように、昔の人々はこれを歩いていたのだろう。
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” 東は入海(いりうみ)。三つの方は並びに平原遼遠(はるか)なり。山鶏、雁、鳬(たかべ)、鴨、鴛鴦(おし)等の族、多に有り。”
ー 前掲書 出雲郡 五 浜・崎・島 より
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途中、鳥たちが、穴道湖のシジミに歓喜している。電車は、スイッチバックをして、「鉄」たちも歓喜する。昔から、鳥たちが舞うほどに、豊かな土地なのだ。
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松江に到着。タクシーの運転手さんに、松江城をぐるりと回ってもらいながら、レンタカー屋へ向かって欲しい、とお願いする。レンタカーで足立美術館へ。
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足立美術館の庭園は立派だ。滝が見え、あれは自然か、と思ったら、庭のためにこしらえたのだそうだ。創設者である足立全康の、横山大観の絵をとにかく集めたい、という狂気に震えた。魯山人の言葉も身に沁みる。狂気と遊びは目の前にあるのだ。
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玉造温泉の公衆浴場で、汗を流し、コーヒー牛乳を飲む。あれ?フルーツ牛乳だったかな。お風呂なので、写真撮影は禁止。
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観光を考える
このように観光してきた痕跡をみると、ああこの3人は観光したんだな、ということがわかると思う。では、「観光する」とは具体的にどういうことであろうか。
国連世界観光機関は、観光を、「継続して一年を超えない範囲で、レジャーやビジネスあるいはその他の目的で、日常の生活圏の外に旅行したり、また滞在したりする人々の活動を指し、訪問地で報酬を得る活動を行うことと関連しない諸活動」と定義している[*1]。
観光とは、楽しみ、レジャーとしての旅行であるといえば済むところ、いきなりこの定義は、さすがに堅苦しいすぎる、と思われるかもしれない。しかし、その感覚こそが観光のイメージを表している。 旅行と観光。似たような言葉であるけど、少し違う。観光は、どこかポップな、おちゃらけた、ミーハーな、ふまじめな感じがないだろうか。上述の定義も、堅苦しく不真面目な感じが徹底的に消されてはいるものの、意味としてはつまり、まじめな活動をしない旅行なのだ、と読めるだろう。
実際のクライアントへのレポートを見返すと、観光することについて、(上場会社内部でも通じるような硬く論理的な言葉で)丁寧すぎるくらいにロジックを述べている。そして、観光というフィールドリサーチの結果は、観察の結果として記述されている[*2]。観光とは、どこかおちゃらけた、ふまじめな印象を与えてしまうと考えたからだ。
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[*1] 佐竹真一「ツーリズムと観光の定義」、『大阪観光大学紀要』開学10周年記念号、2010年による日本語訳。
[*2] 観察だけでなく、いわゆるデザインリサーチやエスノグラフィックリサーチで用いられる体験・共感的理解を得るための手法も用いた。これも含めると、大変に長くなるので、観察のみに焦点をあてている。
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観察を考える
ふりかえってみると、確かに、ぼくたちは観光をしたし、観察をした、そしてその両方がクライアントのニーズとしてあった。このような事実を捉えると、次のような問いが浮かび上がってくる。
観察とは何だろう。観光とはどのような関係なのだろう。
ぼくたちは、普段から色々なものを観ている。観光せずとも、観察することはある。例えば、コンサルティングの仕事では、観察がとても大事だと言われることがある。例えば、ORJIモデルという、観察と介入に関するモデルがある[*3]。ぼくたちはコンサルティングの現場では、とにかくこれを意識しながら、仕事を進めている。もちろん、このORJIモデルは一例にしか過ぎない。
また、例えば、文化人類学では、参与観察というものがある。参与観察とは、人類学者・マリノフスキーが初めて提唱した方法で、現地の人びとが行っている日常の活動の中に参加し、それを体験することである。これは、現地の社会生活に参加しインフォーマント(情報提供者が直意)との密接な人間関係と信頼関係(ラポール)を前提として行われる[*4]。
これらの例だけをみても、観察は観光に比べて、とにかく、まじめだ。まじめな気がする。
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[*3] ORJIモデルは、人間の認知から行動までの流れを、観察(Observation)、反応(Reaction)、判断(Judgement)、介入(Intervention)の4つに区分し、それぞれのポイントや関係について述べているものである。
[*4] 佐藤 郁哉『フィールドワークの技法―問いを育てる、仮説をきたえる』(新曜社)p.66、菅原 和孝『フィールドワークへの挑戦―“実践”人類学入門』(世界思想社)。
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観光と観察と
さて、観光とはふまじめなもので、観察とはまじめなものだ。この部分を、もう少し言葉にしてみたい。
観光とは名の通り、景勝地などを観にいくのだが、観ることと行くことでいうと、やはり行くことの方に重きが置かれている。でもたしかに観ている。この観るということをあまり意識しないことが観光の不思議な性質である。
例えば、SNSでイマココにいるよ、と発信することがむしろ、現代の観光では大切である。わたしが、いま、観光地にいる、という事実を証明すること。これはもはや観ることではなくて、観光地に行くこと(その結果として、観光地にいることを証明すること)に重きが置かれていることの一つの論拠となりうる。もちろん、観ることもしているのだけれど。
(もしくは、自撮り写真などは観光の証明写真として、「見られる」ことに重きが置かれているともいえるのかもしれない。)
ただし、「観光」の語源を調べてみると、この熟語自体は『易経』に由来し、もともとは「国の威光を観る」ということだったらしい。ヨーロッパにおいては、「ツーリズム tourism」は「ツアー tour」が元となり、そのtourは十七世紀半ばごろから使われているらしい。そして、当時イギリス貴族には、若いころにヨーロッパをめぐり、ヨーロッパ文化の継承者としての自覚を深める教養旅行の習慣として、「グランドツアー」なるものがあった[*5]。(ちなみに、絵画の世界では、ここから、ピクチャレスクや絵葉書が流行するようになったとも言われる。)
いずれにしても、観光とは、「行く」ことに重きが置かれているように思う。特に、近代以前においては、移動する(行く)こと自体が、そもそも特別なものだったと言わざるを得ない。
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一方で、 観察は、観ることに重きが置かれる。というよりも、そもそもそういう意味の言葉である。観察と観光は並べられないよ、と思われるかもしれないので、「参与観察」を例にして少し補足してみたい。
参与観察では、他者のコミュニティ等の日常生活に入り込み、共に生活をし、その中で観察し記述することが行われる。具体的な行動を、観光と比較してみると、あまり変わらないようにも捉えられる。例えば、「日常生活」の面では、観光地であっても、観光地に住む人々の日常生活はあるし、僕自身、浅草という観光地に居を構え生活をしている。また、「記述」という面では、通常、ノートにペンで書くことを思い浮かべるが、観光地では、写真を撮ることやSNSやチャットアプリで友人達にシェアすることに置き換えてもいいだろう。このように考えてみると、観光だろうが、参与観察だろうが、行為自体はあまり変わらないともいえそうだ。(人類学の方には、全然違うだろ!と突っ込まれそうだが、誤解を恐れずに書いている)
ただ、当然に行為の意味や仕方、その結果は異なる。参与観察では、参与や記述の仕方に特に注意が払われる。外から見たものではなく、内に入り込まなければならない。写真をいきなり撮ろうものなら、他者のコミュニティに入ることは叶わないだろうし、撮れたものは外からの視線でしかない。また、他者のコミュニティ等に入り込むことによって、自己の変容と共に、他者の変容も伴うものである、というのが、人類学者の中での最近の流れらしい、ということも聞いている。これは確かにすごいことのように思える。腰を据えて、じっくりと、時間をかけて、インフォーマント(他者)とラポール(信頼)を築き、自己にも他者にも深く重く向き合う必要があるように思う。
このように考えてみると、観光と観察とは対照的だ。<行く>と<観る>。<ふまじめ>と<まじめ>。そうまとめると、雑すぎるだろうか。
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[*5] 東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』p.22より
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メタのフィールドワーク
さて、ここまで書いてきて、「観光と観察の間」、それがメタの「フィールドワーク」なのかもしれないと思うようになった[*6] 。
前回書いた通り、移動する、土地に入るという通過儀礼のようなものが立ち現れる場合、観光でも観察でもない不思議な間がそこにあることに気がつく。ぼくたちはそれが学術的、一般的にどう呼称されるかわからないし、そもそも思い違いなのかもしれない。だけれども、間違いなく、この「間」は、僕たちのフィールドワーク、もしくはそのスタイルであるといえるのだろう。実際に、その手法でお仕事をいただき、成果物を納入している、という点が状況証拠ともいえそうだ。「間」ばかり言っていて芸がないけれど。
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「観光と観察の間」、それがメタのフィールドワークなのだ。
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[*6] 「わたしたちのフィールドワーク」については、こちらを参照されたい。今回は、こちらとは別の観点から、実際の観光と(参与)観察の概念を用いて、両者の間を「フィールドワーク」と位置づけている。一部、学術的な言説をひきながら、あえて両者を比較をしてみたが、これは二項対立するものでもない。ただ、メタのフィールドワークを説明するために、実際の行動と一般的な言葉で照らすことで、その説明が容易になると考えたからである。
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(第3回へつづく…語りと記述の旅へ…)
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photo: tomohiro sato(M^)