前回は、Meta Højskoleを開講することとなったきっかけについて記した。

今回は、Meta Højskoleの活動を始めるにあたり、また、メンバーを募集するにあたり、考えたことについて記していこうと思う。いわゆる「理念」とか「コンセプト」めいたものだ。

今回も、前回から引き続き、まだ開講前夜(かつ長文)であるのだが、この場の根源に関わる部分であるので、お付き合いいただければ嬉しく思う。



まずはコンセプトから

さて、前回記した通り、漠然とした好奇心のみで動き始めたところ、どのような場にするのか、具体的にどのようなことをやっていくのかはまだ検討していなかった。参加者を募るにしても、何をやるの?ということを伝えられなければ人など集まるはずもない。そこで、企画やコンセプトなどを考え始めた。

まず、「継続的な探究活動」を行いたいということが話にあがった。前身の人類学研究会では、発表したい人がその時々に探究や活動について発表していた。多様な人たちの多様な探究発表により、多様な交流が生まれていたことは間違いがない。ただ、一方で、その人の発表が一回限りとなってしまうこともあり、数を重ねたり時間を経ることにより、変化に身を浸すような活動は十分にできていなかったようにも、ぼくは感じていた。前身ではできなかった「継続的な探究活動を行う」こと、これは人類学の師匠・岡村さくらさん(さくらさん)とぼくとの共通の想いであった。

また、何かを「形として残したい」という思いも不完全燃焼であった。そもそも、何かを残そうということは前身の目的でもなかったところ、回を重ねるにつれて、何かを残したい、という気持ちが少しずつ生まれてきたのである。もちろん、会を通して各人の活動には少なからず影響を及ぼしているのであるが、それは主に会の外の各人の活動においてであることが多かったように思う。それに加えて、この場のプロセスや活動そのものを記録したり表現したりすることで、何か「形として残したい」という想いが生まれてきた、ということだ。

偶然にもそのようなことを話しているところに、具現化能力が高いと言えばいいだろうか、もしくは、作らなければどうしようもない世界に住むといってもいいかもしれない、藝術の師匠・増田先生(ぽよ)がジョインしたわけである。

こうして、「継続的に探究する」、「形として表現する」ことをやりたいと思う人がいて、この2つのシンプルな方針が浮かび上がったのである。そして、元々の自分勝手に何かを制作したい、というぼくの想いも相まって、「わたしの問い、わたしの表現」というテーマが決まった。



「わたしの問い」の意味

さて、具体的な活動内容に入りたいところであるけれど、今回は、「わたしの問い、わたしの表現」にもう少し触れておきたい。(何しろ、これが今回のメインテーマである。)

これに触れるに際して、まず、ぼくの仕事のことから話さなければならない。ぼくと旧知の方はすでにご存知かと思うけれど、ぼくは主に公認会計士という肩書きを使いながら、経営コンサルティングを営んでいる。そしてたまに、写真家としても稼いでいる。個人でも仕事を受けているし、メタでも仕事を受けている。大手の会計ファーム出身であり、クライアント(顧客)のニーズをあらわにし、クライアントがニーズを満たすように活動をすることを支援すること、それがぼくの「仕事」である。ごくごくおおざっぱにいえば。

さらに、これを一言で表せば、「他者の問いに応えている」ということだ。クライアント(他者)のニーズを満たすように、ぼくたちは日々活動し、報酬をいただいている(当然であるが、この「報酬」には金銭的報酬以外にもあることは付け加えておく。)

ぼくはこれをおおよそ15年間、自分なりに真剣にやってきたように思う。総じて、比較的うまくやってきた(この表現が適切かはわからない)とは思うけれど、順風満帆といい切ることもできないし、文字通り身体がうごかなくなり数ヶ月寝込んでいたこともあった。それを通り過ぎて、独立し、気の合う仲間とメタという場をつくり、ときにはクライアントのニーズに応えながら、日々活動している。これだけでなんとぼくは運が良いのだろうと思う。大変なこともあった。だが、とにかく色々とやってきて、いまは生きているのである。クライアントの皆さんにも仲良くしてもらっているし、厳しい現場もあるけれどお互いをまさに切磋琢磨し、時に苦境に置かれながら、時に楽しみながら、共に歩んでいる。クライアントワークだけで「も」幸せだ、と心からそう思う[*1]

だけど、何か違和感があることも確かだ。果たして、クライアントワークだけで良いのだろうか?満足してよいのだろうか?もしかしたら、ぼくは、「他者の問い」に応えることに慣れすぎていて、「わたしの問い」を忘れてしまっているのではないか?などと思うようになったのである。

きっかけは前回も記した「増田塾」なのかもしれない。もしくは、それに連なる出来事もさまざまあった[*2]。振り返ってみれば、これも一つのシグナルではなかったか、と。その当時の記憶は曖昧であって、ほかに確証もなく、ぼくが変に意味付けているだけかもしれないのだが。もしかしたら…

・・



このようにぼくが感じていることについて、写真家の中平卓馬は『記録という幻影  ドキュメントからモニュメントへ』という論考にこのようなことを記している。

”今、われわれは日々配布される新聞、雑誌、チラシ、カタログに至る無数の印刷物、またほとんど一日中放映されるテレビを通して大量生産されるおびただしい数の現実、しかも断片的な現実に否応なく直面させられている。ある意味でわれわれがこれほどまでに現実に浸透され尽くして生きた時代はかつて一度もなかったに違いない。(…)だがそれは本当にわれわれ一人一人によって生きられた現実であるのか否か、それはまた全く別の問題である。”

(中平卓馬『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』(ちくま学芸文庫、原著は1973年)p.43より)

クライアントワークは新聞などのいわゆるメディアとは違うものではないか、と思われるかもしれない。だが、ビジネスの現場をはじめ、ぼくたちの生活はメディアの影響を色濃く受けており、知らず知らずのうちにそこで飛び交う言葉やイメージを元に思考や活動が行われていることは、往々にしてある。
(なお、この本は1970年代に描かれたものであり、50年近くがたつが、マスメディア、ネットワークメディアの時代を的確に表現していると思う。何より、これは良い悪いという話を超えているとも思う。)

さらに、中平はこう続けている。

”あきらかにわれわれは奇妙なひとつの神話のただ中を生きている。”

(中平卓馬『なぜ、植物図鑑か 中平卓馬映像論集』(ちくま学芸文庫、原著は1973年)p.43より)

ぼくが、中平のいう「奇妙なひとつの神話」を生きているのかはよくわからない。また、ぼくは、中平のように思想的な何かをここで論じるつもりは全くない。でも、たしかに、「他者の問い」に応えることが癖になっており、「わたしの問い」を忘れている、もしくは何かを忘れていることをわかってはいても「わたしの問い」に向かっていかない、といったように、(中平の)思想とはいかないまでも、ぼくが「違和感」を感じていた(いる)ことはたしかだ[*3]。「現実の似姿(イメージ)」にとらわれすぎていて、現実そのものがどこかに置き去りになっているような。

何だか引用がメディア論的になってしまったが、「わたしの問い」を引き受けることとは、中平がいう「一人一人によって生きられた現実」ということになりはしないか、などと、本を読んでハッとさせられたのであった。

ともかく。ぼくは「他者の問い」だけでなく「わたしの問い」にただひたすらに向き合い探究する場にしたい。そういう場があったらおもしろいと素直に思えたし、ぼくはそう願っていたのだ。


以上が、ぼくが当時「わたしの問い」について考え、思っていたことを、今の言葉で表したものである。[*4]

[*1] 家族との時間はどこへ行った?と思われる方もいるかもしれない。当然、クライアントワーク以外に活動する場面として家族との時間もあるのだが、家族とは社会制度であるとともに、妻や子たちはぼくとは違う。つまり、明らかな他者である。家族生活を営むということは他者と暮らすかということであり、クライアントワークとは異なるものの、わたしの問いとは厳密な意味で異なる場合があるのいうことだ。

[*2]たとえば、先に述べた身体が動かなくなった時期に、経済的にも苦境にあるとの予感もありながら、何故だか一眼レフを初めて購入したことがある。なぜぼくが写真を始めたのかは今でもよくわからないが、一眼レフがぼくを社会生活に復帰することを助け救ってくれたのかもしれないと思うことがあった。その一眼レフは数年をもって、ぼくに写真を撮らせ、一部奇跡のような出来上がりを持って、技術の向上を促し、人々との関係をまた新たなものにした。そして、写真を使った制作と表現をしてみたい、という好奇心を生み、増田塾に至ることとなるのであるから。

[*3] 映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(監督 押井守, 1995)では、高度ネットワーク社会において主人公が感じたことを表現するにあたり、『コリントの信徒への手紙』から「童のときは 語ることも童のごとく 思うことも童のごとく 論ずることも童のごとくなりしが 人となりては童のことを捨てたり」と引用している。中平の「ただ中を」ということも含めて、ぼくの違和感に近いかもしれない。

[*4] 当時の言葉は、Meta Højskoleの参加者を募集した際のシラバスに残されている。実はこの文章の背後にはこういうことがあったのだと思うと感慨深い。



「わたしの問い」を引き受けるための「わたしの表現」

では、「わたしの表現」とはどういうことなのか。

端的にいえば、「わたしの表現」とは「わたしの問い」を引き受けたときに現れるものだ。そして、それは、他者との関係性が生まれることで、何かしらの動きや物質として現れる。(と思う、多分)

これだけでは、おおよそよくわからない(ぼくも読み直してさっぱりわからない)ので、少し説明を試してみたい。うまく説明できているかはわからないが、現時点で為しうる限りにおいて。

まず、このMeta Højskoleの大方針として「形として表現する」というものがあった。その根っこには「形を残したい」という想いがあった。これを考える時に、では、どういうものが表現の形として考えられるのだろうか?

すぐにあげられるのは、文章である。たとえば、人類学という学問領域では、多くは論文、フィールドノートをはじめとするテクスト群、すなわち民族誌ということになるだろう。他の文化を記述する、ということを目的としているので、文章で描き切れるわけでもなく、当然に、図表や絵画、写真や音楽なども含んだ一群となっているものが多い。これは、社会科学系の学術論文やレポートをイメージしてもらえれば、なんとなくわかることであろう。

だが、ここで少し立ち止まりたい点は、さまざまな形の表現があるにもかかわらず、結局は文章というものに押し込められてしまっているのではないか、という点だ。誤解を恐れずにいえば、人類学(もしくは他の領域でもそうかもしれない)の世界では、結局、文章(論文などのテキスト群)という形でしか認められにくい、評価されにくい。実際、何人かの大学に籍を置く研究者からもそのようなことに悩んでいる、という話を聞く。[*5]

一方、皆さんご存知の通り、表現とその手法は多様である。例えば、ぼくは写真をやっているので、写真もあがるだろう。絵画でも良いかもしれない。踊りもあれば、音や音楽もよいだろう。そして、もちろん文章やテキストがある。あげればキリがない。なぜなら、それはわかりやすく人間の活動を分類し区切ったものでしかないからだ。本来、ぼくたちの活動はこのように区切られるものではないし、そもそも活動の全てにおいて、活動そのものが表現である可能性がある。ここはうまく表現できないのであるが、ひとまず、Meta Højskoleでは、「まあ表現といえるならなんでもよい」ということにしている。公式な大学や研究機関ではないので、これはむしろ好き勝手にやっていい、制約などないのだ。



むしろ、表現、そして、表現の本質とは何なのだろう、とさえ思える。すでに私たちはさまざまな方法を知っているのだから、表現の手法は多様に選択されてよいはずだ(I've already known multipule ways of knowing & expression.)。スピノザという哲学者の言葉を借りれば、「我々は、身体が何を為しうるかさえまだ知らない」[*6]ということになるのかもしれない。

ぼくの言葉で言い返せば、「わたしの問い」を引き受けるとき、それに応えるものとしてどういう現れがあるのだろうか、ということだ。もしかしたら、これをもって初めて、「まあ表現といえるならなんでもよい」といえるのかもしれない。


・・

長くなってしまった。以上のように理屈を並べてきたが、もしかしたら、「ただクライアントワーク以外の活動をしたい」というだけなのかもしれない。それも含めて、諸々のことがタイミングよく連なり、Meta Højskoleの「わたしの問い、わたしの表現」という理念めいたものが生まれたのであった。

「わたしの問い、わたしの表現」は初年度のテーマだ、と打ち出したものであったのだけど、結局、これを超えるものはないな、と思って、大事なコンセプトというか理念めいたものとなっている。

[*5] 誤解のないように念のため記しておくと、他者に評価されるためだけに研究するわけではないにも関わらず、活動のリソースが論文(やその他のこと)に割かれることによって、それが実質的に表現の制約になってしまうということだ。活動の基盤(例えば大学)では当然に求められてしまう必要なことであろう。これは、「わたしの問い」と「他者の問い」の関係するところでもあり、より思索を深めていきたい点である。現時点では、両者はトレードオフ関係(両得できないということ)では決してないし、さまざまなことが入り組んだシステムとなっている、ということをおぼろげながら感じている

[*6] スピノザ『エチカ』第三部 定理二 備考より。



「わたしの問い、わたしの表現」をどのように探究していくのか

以上の通り、Meta Højskoleとは、ほとんど思いつきで、ほとんど想いのままに、ぼくたちなりにシンプルに考えてやってきたことである。裏返せば、深く考え言語化しようとしても未だよくわからない、ということでもある。とはいえ、ここまで約5,000字を記してきたので、エネルギーは高いことだけは、何となくはわかっていただけるであろうか。

次に、どのように探究していくのか?活動の場を開いていくのか?具体的な活動内容はどうするか?ということを考えていくことになるのだが、案の定、長くなってきたので、その話は次回に続く。

(なお、まだまだ開講前夜)

では、また。



IIllustration:  miyu masuda(M^ in Feb. 2018)
Photo: tomohiro sato(M^)