最近の僕は干物づくりにハマっている。干物のことを考えていろと言われれば何時間でも考えていられるし、調べていられる。趣味といえるようなものはプログラミングや現在の仕事に関連する読書。しかし干物づくりはそれ以上だ。ほぼ毎週末干物をつくって食べる。時化がつづいているか雨でないかぎり、干物をつくる。


僕の土日のスケジュールはこうだ。


・いきつけの朝市に出かける。事前に今日ある魚を電話で確認する

・魚屋さんと魚と海の話をし、魚を確認、仕入れる

・八百屋さん、マグロ屋さん、洋菓子屋さん、花屋さん、お客さんと話をする

・近所の干物友達に連絡し、最近の干物づくりについて話をする

・家にもどって下処理をし、天気がよければ干す。干せない時は刺身、煮付け、塩焼きなど。

・干し具合を確かめながら、水分量がほどよくなったタイミングでFoodSaverに真空パッキングし、冷凍庫に保存する

なぜ干物をつくるのかと聞かれたら、長くなる。まずはざっくりと時系列に並べて、文字起こしを始めてみた。

 

  1. 初船釣り、爆釣、届けた同僚の捌いた魚を息子が食べ、捌きたい欲求の芽生え

  2. 詰め放題ができる朝市とちまきおじさんとの出会い

  3. 年間通して魚を捌く

  4. Food Saverが送られてきた(干物研究開始)

  5. 出版合宿と師匠の干物との出会い

  6. 自分の干物のルーツ(釣りにはハマらなかった)

  7. 試作した干物を同僚に送る

  8. 魚食系ラジオのオフ会と魚食なかま

  9. 食べやすい干物

  10. 趣味が干物の友人との出会い

 

今回は1~3について、ここに記す。

1.初船釣り、爆釣、届けた同僚の捌いた魚を息子が食べ、捌きたい欲求の芽生え

 僕には現在中学2年生の息子がいる。3年ほど前の秋、パパ友・ママ友から船釣りに誘われた。なぜ声をかけられたのかはおぼえていない。しかし、釣りをすること自体に興味があったのでこの話に乗った。ではなぜ釣りに興味があるのかといえば、家族構成・幼少期にさかのぼる。

 僕は幼少期に自分に課したルールをいまでも大切にしている。そのルールは「親から教わらなかった・得られなかった◯◯のうち、自分が自分の子供にしたいことはいずれできるようになっていこう。またもし自分の子供が学びたい・やりたいことがあったならば一緒にやっていこう」というものだ。ざっくばらんにいってしまえば「その時できないことは後でやればいいや」と考えた。これは母子家庭であったことの影響が大きい。僕は、多くの時間を働くことに割いていた母親に多くを要求しなかった。そのかわりこのルールにしたがって、自分の将来の時間で欲求を満たしていくことにした。

 そして釣りはこのルールにかかった。小学生であった僕は友人が釣りに行くのを知り、行きたいと思った。できれば父親と。当時の僕は子供ながら父親とするようなことをしたかったのだと思う。しかしそれは叶うものではなかったし、昼夜働く母親に同行してもらうようなことを言うのも気がひけた。だから釣りについてはルールに従って未来の子供と一緒にすることにした。それを覚えていたから僕はこの話に乗った。結果、僕はやりたかったことを果たすことができた。


 しかし釣ったはいいがイナダ13尾。幼少期の僕も釣りに行く前の僕もこれほど釣ることになるとは思ってもいなかった。船から降りた後、近所や友人に連絡してもらってくれる方に届けた。この時、同僚にも届けたところ、一緒に行った息子と共に釣った魚を捌いてもらい寿司を食べる機会を得た。

 彼の捌く姿を見ながら、子供に魚を捌く父親の背中を見せたかったことを思い出した。幼少期の僕は魚が捌けることをかっこいいと思っていた。だから”自分の子供に自分で捌くこと、それを食べさせること”もルールに従ってストックしていたことだった。そこで僕はまずは自分で捌けるようになるために魚を仕入れられる場所を探すことに決めた。さらに息子が寿司を食べて喜ぶ姿を見て、自分で捌いた魚で息子を喜ばせることができるようになることも決めた。

 ここまで書き、またルールについて思い出したことがある。ルールを決めた当時、子供ながらに自分の将来できるのだろう子供のこと、そして孫のことを考えていた。僕が子供と一緒に、あるいは子供に対してしたかったことがあるとはいえ、子供が望まないならそれはやらなくてもいいこともあるだろうし、僕一人でやればいいこともあるだろうと思っていた。僕が期待したのは、自分の子供がさらにその子供に何かしてあげたいようなことがあれば、僕との記憶がそれをするための力に少しでもなればいい。そんなことも思っていた。

 

2.詰め放題ができる朝市とちまきおじさんとの出会い

 それから休日にドライブをしていたところ、朝市ののぼりが目に入ってきた。それほど大きくない市場で、魚の入った発泡スチロールが見えた。

 当時この朝市では魚の詰め放題をすることができた。当時は、結構な量の魚が獲れたので成り立っていたのだと思う。僕は釣りの後、まずは捌くことに強く興味を持っていて、とにかくたくさん捌きたかった。そしてしばらくの間、この詰め放題で魚を仕入れることにした。

 詰める魚の種類は豊富だった。よく食べたことのあるアジやサバだけではなく、よく知らない魚もたくさんあった。初めはよくわからず鯵を30尾以上詰め、家に帰ってから、

動画を見る → 鯵を捌く → 疑問が湧く → 動画を見る → …

ということを繰り返した。へとへとになった。このままでは身体が持たないと思って、量を減らし、魚の種類を増やした。魚の種類を増やすと見る動画も当然に増え、またへとへとになった。

 ひと月も経つとそこで働くちまき屋のおじさんとよく話すようになった。おじさんは魚に詳しく、聞かれれば誰にでもその魚ごとに名前と食べ方を答えていた。おじさんはおおよそどんな魚についても答えているように見えた。僕はおじさんの話す言葉に興味を持ち、よくわからなかったことは後で質問する、それによって種類、見分け方、目利きの仕方、捌き方、食べ方を覚えていった。

 しかし時が過ぎれば獲れる魚種も変わる。そこで僕は思うのだった。

「一年間通い続けて捌きつづけよう。そうすればこの近隣の一通りの魚についてわかるだろう。おおよそ捌けるようになるだろう。」

 

3.年間通して魚を捌く

 初めて釣りをしたのは10月、朝市に出会ったのは12月。この市場に並ぶのは主に家庭で調理して食べられる魚が多い。近くの海の魚種は豊富。雑魚もすこし大きい魚も並ぶ。一年をかけて捌いてきたものを挙げてみる。多分忘れているものもあるとは思う。

 

 イナダ、ゴマサバ、マサバ、アカカマス、ヤマトカマス、キアジ、アオアジ、シマアジ、カイワリ、ソウダガツオ、本ガツオ、シタビラメ、コノシロ、イトヨリダイ、アカヤガラ、タカノハダイ、キントキ、トラギス、クロシビガマス、マダイ、アマダイ、ブダイ、ホウボウ、ワカシ、ワラサ、メジナ、ヒラメ、カワハギ、アンコウ、カサゴ、マナガツオ、スマガツオ、メイタガレイ、クロムツ、メバル、マイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシ、トビウオ、チダイ、キダイ、イサキ、スズキ、ヒラマサ、カンパチ、キハダマグロ、キス、イシモチ、シログチ、イシダイ、クロダイ、タチウオ、シイラ、コショウダイ。アオリイカ、スルメイカ、ケンサキイカ、コウイカ、モンゴウイカ、スミイカ、ヤリイカ。サザエ、アカアワビ、ホラガイ。イセエビ。タイワンガザミ。ワカメ。…。

 

 食べ方の基本は刺身、炙り、塩焼き、あとは酢締め、なめろう、煮付け、ホイル焼き、湯引き、鍋、しゃぶしゃぶ、炊き込みご飯、潮汁、干物。(唐揚げ、フライは実家に任せる。)

 振り返ると魚種もそれなりに多い、サイズも小さいものから大きいものは80cm程度まで、骨格も様々、これだけ捌くとそれなりに慣れる、昼休みに捌いて、刺身や塩焼きで食べることもあった。


 息子はアカカマスの塩焼きが好きで、貪るように食べた。鮨屋では白身に塩を振って食べるようになった。魚の頭やアラは潮汁にすることもあるが、塩を振らず焼いてポメラニアンのマロンにあげることも多かった。おそらくマロンが一番僕と共に多くの魚種を食べた存在、同士なのではないかと思う。


 刺身で食べると水っぽく、うま味を感じにくいものは熟成させるようになった。キッチンペーパーでくるみ、ビニール袋の中で数日寝かせてから食べた。息子も熟成した白身が好きだが、青魚は好みではないらしい。熟成に失敗し、臭みが強くなってしまった時は塩焼きにすることも。塩を振らずに焼いてマロンにあげても彼は食べない。彼はいつものようなうまいにおいがしない、とわかっているのだろう。彼にも好き嫌いがあるのだ。

 

 こうして僕は一年を通して朝市周辺で獲れる魚を捌くことができるようになった。魚の料理の仕方も覚えた。息子が食べられる魚も増えた。マロンは魚がわかる魚食犬になった。そして僕は思わぬことから干物をつくることになり、それを通して自分を知ることになるのだった。

(つづく)