(小説バトンについてはこちら)

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「だいたい小説バトンって、何なんだ?」

 

誰かに訴えたいというよりも、次の走者の指名を受けてしまった自分を悔やんでいる。僕が小説を書いたことなんてあるわけないし、文章を作るのだって仕事上で必要な資料くらい。一番近いのが、フェイスブックの投稿ぐらいだろう。ただそれも揺れ動きのない日常を時系列で書き綴っているだけなので、小説というよりも日記だ。

 

「何で受けてしまったのだろう?」

 

文才なんてあるわけないし、何を書いたらいいのか見当もつかないので、過去の小説を読んでみる。全体の物語の流れか根底の文脈さえ分かれば、それに乗っかって書けるんじゃないかと期待するが、安易な気持ちは簡単に打ち砕かれる。

 

「ところで、何がリレーされているの?」

 

リレー形式で繋いでいくそうなのだが、どの文脈がどこにつながっているのか皆目見当がつかない。誰かに聞きたい気もするが、延ばし延ばしにしてしまった、締切はもう何度か越えてしまい、今更何か聞くことに躊躇もある。魚やら飲み屋やら、街である日常の場面やらが書かれていて、僕から見ればうちの小説家はやりたい放題な感じがする。

 

「何を意味付けして、引き継げばいいんだろう?」

 

バトンが何なのかさらに謎が深まるが、僕が見つけられるものは何もない。むしろ文脈なんてなくて、みんな好き放題書いていて欲しい。むしろその願いが高まるばかりだ。しかし、願いが高まったところで筆は進まず、どこにも一歩も踏み出せていない。

 

「何か考えごと?」

 

考え事があると両手で頭をワシワシかく癖があるのだ。オクサマが気にしたようで聞いてきた。風呂でもないのにシャンプーしている動きは、目につくらしい。やばい、気持ちが焦る。小説好きのオクサマには口が裂けても、「小説の推敲中なんだ」なんて言えない。こういう時は笑われるに決まっているからだ。

 

「いや、帽子をかぶってたら頭が痒くなってさ」

 

これから庭の草刈りをするタイミングだったので、無理やり紐づけてみた。石が飛んできても大丈夫なようにフェイスマスクをし、熱射病にならないように帽子を被り、草が飛び散るのでエプロンをかけ、もちろん長ズボンに長袖。7月に入らぬうちに突然終わってしまった梅雨後の日差しと暑さがたまらないが、長靴も履いて完全装備だ。たぶん、頭が痒くなるはずである。

 

「さらに突っ込まれたら、面倒だな」

 

次の返事を想像してみる。いっそのこと小説のことを話したらいろいろアドバイスくれるんじゃないかと期待しつつも、笑われたくない気持ちの方が勝った。うん、頭をかく手を止めずに誤魔化しておこう。

 

「あ、そう」

 

苦し紛れの言い訳にたぶん何か勘づいただろうが、それ以上は突っ込まれなくて安心した。それよりも早く草刈りに取り組んで欲しかったに違いない。庭が広かったら気持ちいいだろうという安易な気持ちで自分のものにしてしまった地面は、3週間でボウボウとどうでもいい緑がそだっていく。これをさらに放っておくと、取り返しがつかないくらい大変なことになるのだ。この現実を見るまで、オクサマはぜんぶ自分の手で抜くつもりでいたらしい。実際、1時間半で切れるバッテリーでは半分も刈れないのにだ。

 

「まぁ何かでてくるだろう」

 

淡い期待を寄せつつ、自分の生え際との違いを恨めしく思いながらバリバリと草を刈っていく。草刈りしながら小説が生まれてくるならば、世の小説家の趣味は全員草刈りなはずだ。高級なホテルに籠もってルームサービスなんて頼まず、草刈機を左右に振ってきゅうりでも齧っている違いない。優れた小説家を輩出している国には雑草がない、なんてロジックが成立したら、それりゃすごい研究だな。結局のところ、勝手な妄想ばかり走って、何も生まれてくるものはなかった。草刈り小説理論はとっとと破綻した。

 

1時間半も草刈機を動かしていれば、それは結構な運動量になる。重たい草刈機を下ろすと、上着がべったり背中についているし、腰に手を当てて後ろに反りたくなる。これ以上続けていたら、頭がくらくらすることは想像でなく現実だ。バッテリーの切れ目と体力の切れ目がちょうど合っている感じがする。すぐにシャワーを浴び、午後から出かける身支度を始めた。



「今日はいい日になるぞ!」

 

新幹線がホームに入るタイミング、ぴったりで僕もホームの階段を降りた。このタイミングがバッチリ決まると、今日はいい日だと思えるのである。単純でアホだなと思うが、ちょっとしたことで気持ちが上向くなら安いものだと思って、このまじないを信じている。自宅から最寄りの駅まで車で10分。東京まで1時間ちょっとの新幹線は、読書かメールかSNSか昼寝か、次の出張の算段か、だいたいどれか片付く隙間時間になる。この時間を生かすも殺すもまじないによるのだ。

 

「いいアイデアが生まれますように」

 

もちろん小説のことを引き続き考えなければならないし、その時間に充てるには最高の空間だ。今日は打ち合わせがないので、最近お気に入りの雲の刺繍入りTシャツとリネンの短パンで車内に入った。どうでもいい話だが、このTシャツは息子の学校スタッフに、「私なら着ないな」と言われてしまうほどのいわくが付くくらい素敵なのである。仕事っぽいお洋服でなければ、仕事っぽくない文章が紡ぎ出される気がして、ただの服装にもまじないをかけてみた。

 

「さてと」

 

たぶん、世界中の小説家が机につくときのまじないを心で唱えてみて、パソコンを開いた。発車するとすぐに県境のトンネルに入り、ぐんぐんとスピードを上げ標高を下げて走っていく。一度目を閉じて深く深呼吸をし、白紙のwordを睨みつけてみた。1時間後には相当の文字が埋まっている妄想だけが沸き立つ。

 

「む、うんうぁぁぁ」

 

言葉にならない感覚がハミングで漏れ出した。トンネルを通過し標高が下がるにつれ、頭がキリキリと痛くなってきた。気圧の変化で頭が痛くなるそれである。たぶん、頭の中で小説小説とおまじないを唱えて、いつも使わない脳みそのどこかにスイッチを入れてしまったからだろう。頭が痛いのでこの時間を小説に使わなくてもいい言い訳を思いついた気がした。

 

「そもそも誰が読者なのだろう?」

 

そもそもは、何か取り組まなければいけない時の便利で小賢しい逃避術だ。一番賢くて一番分かっている人の特権であるかのように、便利に多用できる。計画通りに取り組もうと意気込んでいる人には、足を引っ掛けられた気分になるし、今更何を言っているのかため息を引き出す言葉にもなる。一方で、取り組むことが面倒な人には、正当性を上げることができるパワフルワードが「そもそも」なのである。どうでもいい前振りで人の関心を惹きつけてから「そもそも」と誰かが言ったら、確実に面倒回避行動だと思って欲しい。頭痛スイッチが発動された僕の中でも便利ワードが浮かんできた。

 

「そもそも小説って何だ?」

 

便利ワード「そもそも」は、小説バトンの企画どころか一般名詞の小説にもケチをつけられるらしい。どうも人間は、やろうと思うしっかりとした覚悟よりも、やりたくないなぁと思うあいまいな気持ちを応援するらしい。妄想による面倒回避行動は高崎を過ぎても安定軌道に乗っていた。もちろん小説の定義がわかったところで、どこへも一歩も踏み出せない。

 

「東京方面へワーケーションってなんか笑える」

 

今日は東京へワーケーションである。随分と涼しい信州から灼熱の東京へなんてちょっとイメージがつかないが、仕事仲間と美術館へ行き、美味しいご飯を食べるのである。ワーケーションが一般用語になる前に、僕らはPlay Workという目的語を2つ並べた言葉を使って、遊びも仕事も混ぜた旅をしていた。やりたいことをやっている仲間同士では、とても盛り上がった時間だったが、やりたくないことを頑張ることが仕事だと思っている人、仕事はあらゆる余白を排除して真面目に真剣に「そこ」だけに取り組むだけだと考えている人には全く目的が通じなかった。遊びに行った時に仕事時間を作ることだと理解されていたようだ。

実際、Play Workのおかげで、どちらも曖昧な時間が、全力の仕事と全力の遊びの間を取り持ってくれている。直接仕事につながらない遊びの時間でも、ふと仕事を思い出して今の体験と結びつけたり、仕事の時間でも身体が欲する何かが湧き出てくることがある。美術館に行って、なんかすげーと小学生のような感想しか出てこないこともあれば、自分の日々と結びつけてプレゼン資料の見せ方だったり、自宅のデコレーションだったり思いつくこともある。美味しいご飯の時間も、馬鹿話だけで終わることもあれば、急に真剣に仕事の話になることもあるし、次の予定が決まることもある。とにかく一緒に過ごせて良かったと思うだけでも豊かだ。急にパソコンを開いて、プロジェクト資料を修正する人もいる。「〇〇をしている時間」と明確にいえるが、「〇〇を得た時間」とすると、Play Workは本当に得るものが多様である。

 

 

「仕事でも遊びでもない「小説を書く」という時間で得たものはなんだろう?」

 

文章を紡ぐスキルを高めた時間、悩むことを得た時間ともいえるがちょっとピンとこない。

 

 

「M^の小説バトンはそもそも何なのだろうか?」

 

僕には、「私はあなたの仲間だよ」というメッセージに思えた。小説バトンとは小説を書くことでなく、引き受けて取り組むという行為が仲間であることの通過儀礼な気がした。通過儀礼は面倒とか痛いとかマイナスな気持ちが伴うけど、通ったあとは行ったことがないところへ到達した気分、やり遂げた清々しい気分になれるものである。小説っぽい文章は、嘘でも誤魔化しでも書くことはできなかったが、僕には大切なことを得た時間になった。内容はともあれ、僕はちゃんとバトンを受け取れたと思う。それともう一つ確実に言えるのは、僕には小説は書けないということだ。編集長にはこれくらいで勘弁していただきたい。

 

「そろそろだ」

 

東京着のアナウンスが聞こえてきた。涼しいとこから熱いところへ行くのはちょっとうんざりだが、曖昧な時間から得るものを想像するとワクワクしてきた。通過儀礼とは、通り過ぎるとすぐに忘れてしまうらしい。

第九走者へ続く