台北の香り
今日の夕飯に「魯肉飯」を食べた。妻が自宅で作ってくれたのだけれど、本場の味の再現度が高くて驚いた。美味しいだけではなくて、(少し入れすぎたと言っていた)八角の香りが素晴らしい。ぼくを台北の記憶に誘ってゆく。何かがキマってしまったのか、そうだ、台北のことを書かなくてはならない、と思い、これを書いている。
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そういえば、メタのメンバーは何かと台北に縁(えん)があるように思う。
クライアントの事業拠点があったり、仲の良い友人複数人が台北に駐在していたりする。とあるメンバーに至っては、台北でフィールドワークをしている様子[*1]をFacebookにアップしたら、前職の上司から仕事がないのかと心配した、と大口の仕事を紹介いただいたこともあった。
何となくではあるが、台北を訪れる前後に、大きな変化がある。特にビジネス面での転機が訪れることが多いように思う。クライアントワークやフィールドワークであるのだが、直接的に営業しているわけでもない。それなのに、「なぜか」ビジネスの転機が訪れる。気のせいかもしれないが。
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[*1]その様子とは、「サングラスをかけた2人が、ブルースブラザーズのごとく街中を闊歩している」様子である。今もFacebookを検索すれば、その証拠写真を見ることができる。
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さて、今回は2019年3月に台北を訪れた際のフィールドノートと写真を紹介したい(今回はブルースブラザーズについては書かない。読者の期待には応えられなくて申し訳ないのだけれど。)。
メタでは毎年延べ2回ほどは台北に行っていた。しかし、昨年はコロナ禍の影響により、海外に赴くことができなかった。仕方がない。でも残念だ。
もし台北に訪れていたら、また、ビジネスの転機が訪れていたのかもしれない[*2]。でも、その訪れが「なぜか」わからないのだから、考えても仕方がない。もし一つ何かできることがあるとすれば、フィールドノートと写真の一部を見返すことで、何か別の契機が生まれるのかもしれない。そう思い、2年前の記憶と記録を今ある形で置くことにした。
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[*2]実際に以下に記されたフィールドノートを見ると、最後段において、ビジネスの転機を表現した部分があることは非常に興味深い。なお、前に書いた通り、ここでいうフィールドワークは、「散歩や観光、それこそ日常生活まで、何でも含めてしまおうとしているのだ。ずるいといえばずるい概念である。」ことに留意されたい。したがって、以下のフィールドノートも人類学等で言われる学術上のフィールドノートとは一致しない。
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(Mar. 4 2019)
3年ぶり2度目の台北。
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4泊5日、丸一週間の出張は久しぶりだ。
台湾 松山空港に到着。両替し、SIMカードを購入。
イエローキャブに乗りたくなり、タクシー乗り場の列に並んだ。
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魯肉飯、青菜炒、煮卵。95NTD≒350円。
永康街へ。
花粉の飛んでいない台北は天国である。
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展示物が多く、見ているようで見ていない。
大陸から亡命してきた小ぶりな書や陶磁器たち。
前職でお世話になった先輩に会い、台北での4年間の話を聞く。
今と昔と。
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台湾ビールのうすさに乾杯。
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そうして、3年ぶりの台北の夜はふけていった。
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(Mar. 5 2019)
2日目はホテルにこもる。
洗濯物が乾かない。
露店、ファストショッピング。
交通と土地、そして空気。
夜の光。
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偶然、訪台の予定が重なった、5年来の友人と台湾料理を。
不思議なもので、旅に出ると昔の記憶がよみがえる。
目を覆いたくなるほどの記憶と、目の前に次々と現れる景色。
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(Mar. 7 2019)
「烏鬼」展へ。東アジアの政治的弾圧に関する表現。
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歴史の声が聞こえる。
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土地の記憶。そして、再開発。
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カジュアルさが記憶をまるめて、地層に押し込める。
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モダニズム建築の迫力はある種の権力構造の象徴である。
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逆を逆に映す。それは正か。それとも。
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空間の広さは、光との距離だ。光が遠い。
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雨という外部の自然。外部とはなんだ。
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(Mar. 8 2019)
東京に戻る。
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自分に向かう旅。
この3年間、「わたしは、<わたし>に向かっていた」。
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記憶が外へ向かい、イメージは外に残存する。
そして、残存したイメージは時間軸を消失させる。
写真をみるといい。
そこには別の時間軸があり、別の空間軸があり、別の次元がある。夢のようなものだ。
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写真は記録ではない。一つの記憶なのだ。
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本記事は、「tomohiro sato website - Taipei」より再編集したものである。
(https://tomsatotom.com/portfolio/taipei/)