LOGUEについて
「LOGUE」。日本語で書けば「ローグ」。
このページでは、メンバーが思うことや感じることをただ自由に連ねていく。
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モノローグ(monologue:一人語り)でもあるし、ダイアローグ(dialogue:対話)であるかもしれない。引き付けすぎかもしれないが、もしかしたら、メタローグ(metalogue)であるのかもしれない。
モノローグやダイアローグはよく耳にされるが、メタローグはあまりなじみがないかと思うので、メタローグについて簡単に説明しておきたい。文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンは『精神の生態学』で、メタローグを以下のように定義した。
“特定の問題に対する会話。この会話は参加者同士がその問題について話すだけではなく、会話の構造そのものも問題と関係していなければならない。(…)とりわけ、進化理論の歴史〈に関する記述〉は不可避的に人間と自然のメタローグの形式を採り、その中における思考の創造と相互作用は必然的に進化のプロセスを体現しなければならない。”(*1)
これだけ読むと難解な定義かもしれない。これについて、ドミニク・チェンは以下のように説明する(*2)。
“メタローグとは「話者同士の関係性に応じて内容が決定する、対話形式の文章」のことだ。”
“メタローグとは、深い関係を結ぶ相手の視点を自分のなかに住まわせて、そこから世界をみようとする営みだとも言えるだろう。”
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つまり何が言いたいのかというと、このWebサイトの「LOGUE」というページでは、メタのメンバーの表現物そのものと、メタのメンバーが世界をどのように観ているのかについて、読み手に委ねるような形をとりたいと思っている。端的に言えば、表現したいものを表現するページであり、それを読み手のみなさんに自由に解釈してもらいたいとの願いがある。
実はこの願いは、「LOGUE」のページに限らず表れている。もうお気づきかもしれないが、このWebサイトは大いに「説明不足」である。あえて、自覚的に「説明不足」にしたといっていい。それはなぜか。それがぼくたちの哲学(PHILOSOPHY)を表現したものだからだ。
もしかしたら、ぼくたちの表現力が不足しているかもしれないし、今後その表現は変わっていくものであるとも思う。ただ、メタのありようを表現することを考えたとき、先に書いたように、「表現したいように表現し、自由に解釈してもらう」ということをメタメンバーは最も望んでいるし、それがメタのありようのような気がするのだ。
繰り返すが、「LOGUE」は、モノローグ(monologue:一人語り)でもあるし、ダイアローグ(dialogue:対話)であるかもしれない。そして、もしかしたら、メタローグ(metalogue)であるのかもしれない。
これを読むみなさんには、存分に楽しみ、ゆらいでほしいと思う。
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メタメンバー 一同
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<脚注>
*1 原文は、グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』より。日本語訳は、ドミニク・チェン『未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)より。
*2 ドミニク・チェン『未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)より。本書では、さらにシンローグ(共話:synlogue)についても記述されていることは興味深い。共話は、フレーズの主語を共有しながら、互いの発話プロセスを重ねあい、フレーズを生み出していく方法である。これにより、発話主体の区別が曖昧となる。もし、あなたが何かを感じ、ゆらいだとすれば、あなたとメタメンバーとの共話がすでに始まっているのかもしれない。