哲学論文を書くことは何の役に立つのか?
 
今のぼくの答えは一つです。年々変わっていくでしょうが、今の自分がどう考えているのか、を書いてみようと思います。
とはいえまずは、そもそも「哲学論文を書く」とはどのようなことなのか、ということ。
 

「哲学論文を書く」とはどのようなことか?

哲学論文を書く際に参照されているフォーマットは、大きく三つあるように思えます。
 
第一に、特定の個別の哲学者に関すること。
例えば、ぼくがやっているドゥルーズ研究では、以下の題目がありえます。「ドゥルーズの非人間主義」の思想について」、「特異性の概念について」、「『意味の論理学』(主著)について」、「『意味の論理学』ともう一つの主著『差異と反復』との関係について」、あるいは「ドゥルーズのキャリアの中の最初の主著を書くまで時期:前期哲学について」などです。第一のフォーマットは、思想・概念・書物・時期を基点とし、コーパスの大小はあれど、基本的には特定の個別の哲学者に関することが書かれるものです[※1]。
 
第二に、特定のテーマや概念に関すること。
これは、芸術や技術などの一般性の高いテーマや概念の系譜、あるいは17世紀ヨーロッパや、20世紀前半のフランスなどの特定の時代や地域を主題として、それに関わる哲学者たちの共通の問題や論争について書かれるフォーマットです。第一のフォーマットよりは少し広範で、系譜・時代・地域を基点としており、また特定の思想家のみではなく、複数の思想家を対比したり、あるいは、その上で著者自らも議論に参加していく点に特徴があります[※2]。
 
第三に、形而上学に関すること。
前5世紀から始まり、現代まで続いている哲学における狭義の哲学的主題、あるいは根本問題、例えば、存在や認識、世界や実在、心身関係など、哲学における基礎概念 notion の定義とそれらの諸関係を巡って書かれるフォーマットです。基本的には、世界が何で出てきているのか、その根本的なものがどのようなものか、そしてそれが何かであるにせよ、そこからどうこの世界が成り立っているのか、を扱います。こうした「形而上学」の問題を扱う第三のフォーマットは、第一と第二のフォーマットとは異なる、というよりむしろ、それらの基礎を重点的に扱います。[※3]。
 
哲学論文は、この大きく三つのフォーマットのいずれかにおいて書かれるとぼくには思われます。とはいえ、この三つはそれぞれが無関係に成り立っているものではありません[※4]。ぼくたちは常に「中間 milieu」において書かざるを得ない。三つのフォーマットの「中間」で、というだけではない。自らの知と無知の「中間」でもあれば、哲学史全体のとある「中間」でもあり、哲学者たちとわたしたち(今の時代、これからの時代)との「中間」でもあります。したがって、ヘーゲルが言うように、とにかくぼくたちは「中間」に身を置き、そこから自らの領域が自らの認識とともに広がるような仕方で、哲学を学んでいきます。「哲学論文を書く」とは、主題についてあらかじめわかっていることを書くことではなく、中間で書きつつ主題について理解していき、同時に、哲学に入っていきつつ哲学とは何かを理解していく活動です。
 
さて、ぼくの研究主題は「ドゥルーズのスピノザ読解の変遷」です。これは上の類型に従えば、基本的には第一のフォーマットに該当します。ただ、その中でもやや特殊です。というのも、この主題は、「ドゥルーズが第一のフォーマットでスピノザを研究する仕方」を、ぼくが第一のフォーマットで研究することも意味するからです。だからこうも言えます。すなわち、ぼくは、哲学論文を書く上での第一のフォーマットの一事例(ドゥルーズのスピノザ解釈)を研究している、と。先に述べておけば、この点は、ここでの問いに対する答えに大きく関係してきます。
 
さて、以上の前提の元で、本題に戻ります。哲学論文を書くことは何の役に立つのか。哲学論文を書く、という活動の中で、書き手にどのようなことが生じるのだろうか。「哲学論文を書く」という活動は、それを為すわたしたちに何を為しうるのだろうか。
 
ぼくはまだ沢山の論文を書いてきたわけではありません。今、新たに書こうとしながらわかってきていることもあります。だから、ここでは「修士論文を書くこと」を踏まえてのことのみを書くとします。私の修士論文は、ドゥルーズの第一のスピノザ論『スピノザと表現の問題』の読解を行ったものであり、その題目は、”ドゥルーズ『スピノザと表現の問題』再考−内的方法に従って−”でした。
 

哲学論文を書くことは、私たちに何を為しうるのか?

「哲学論文を書く」という活動が私に与えた一つの効果=結果、それは「自分がどのようにものを考える者なのかを知る」ということでした。
 
ぼくにとってこの結果は、とても新しいことであると同時に、驚いたことでもありました。「考える pensér」ことは、哲学に関わる者だけが行っていることではありません。誰であれ考えています。ぼくはそう思っています。なので、以前のぼくであっても色々と考えていただろうし、そうして考えて生きる中で、自分がどのように考える者なのか、を知る機会も幾度かあったでしょう。にも関わらず、ぼくは「自分がどのようにものを考える者なのかを知る」と言います。では、その時、ぼくは何を言いたいのでしょうか?[※5]
 
修士論文を書く上で、私は『スピノザと表現の問題 Spinoza et le problème de l'expression』(1968、以下『表現の問題』)をいかに読むか、という問題に直面しました。これは正確に言えば、『表現の問題』について何を説明するのか、その上で、いかに『表現の問題』を読むか、という問題です。
 
論文は読書感想文ではないし、ブックレビューでもありません。「こういうことが書いてありました、こういうことが問題になっていました」と説明するだけであれば、書物を読めば事足ります。「わかりやすい」とか「適切な要約になっている」とかそういうこともあるでしょうが、それも結局のところ、読めば事足ります。またそもそも、限られた論文の紙幅の中で、書物全体を説明することはできません。だから、そこで展開される多くの理論の取捨選択や、そしてまた選択したものたちの連結をつくり直すことも必要です。
 
読解の問題は、説明の問題でもあり、つまり、表現の問題でした。『表現の問題』全体を説明したいが、どうすれば「説明していること」となるのでしょうか。諸理論の取捨選択が必要ですが、その選択にも理由が必要でしょうし、結果、選択したものを概要するだけでも終われません。
 
この問題へのぼくの応答が、修士論文の副題「−内的方法に従って−」の意味です。
修士論文で私が選択し、また為そうとしたのは、「内的方法に従って『表現の問題』を読むと何が見えるか、を読者に見えるようにすること」です。
 
詳細は省きますが、「内的方法」とは、スピノザの聖書解釈の方法であり(『神学政治論』)、端的に言えば、ある書物をその書物を書いた者自身の「企図(意図や目的)」を明らかにした上で、その企図に従って読み解く方法です。つまり、ぼくは、ドゥルーズがスピノザを読み、説明した書物『表現の問題』を、スピノザの方法によって読むことを試みたのであり、同時にドゥルーズ(『表現の問題』を書いた者自身)がいかなる企図の元でこの書物を書いたかを規定した上でこの書物を読み、説明することを試みました[※6]。
 
この選択には、ぼくがいかにものを考える者なのか、が表現されています。つまり、ぼくは、自分が「内的方法」で「ものを考える者」であること、を表現的に理解したのです。これがここでの問いの答え、すなわち、「自分がどのようにものを考えるものなのかを知る」ということの意味です。
 

終わりに:哲学研究者が会社で働くということ

ぼくに通過したプロセスは入れ子状になっています。結局のところ、ぼくは、スピノザに従ったのか、ドゥルーズに従ったのか、自分自身に従ったのか、を識別することができません。ぼくはスピノザにおいて思考し、ドゥルーズにおいて思考します。「その内で(within / en)」かつ「それによって(depending on / par)」思考すること、これが「内在的に」思考するということ、です。ドゥルーズは、対象に直面して、思考することが必然的に通過するこの領域を「不可識別ゾーン」と読んでいます。そしておそらく、ドゥルーズはこの思考の仕方を徹底したがゆえに「彼(スピノザ)が私の口を通して言う il parle par ma bouche」という言い回しを用いることができました。彼は”スピノザにおいて”スピノザ哲学を表現=説明することができました。ぼくは何かを思考するとき、常にこの領域を十全に通過したいと思っています。「ぼくはドゥルーズとスピノザの中で思考し、ドゥルーズとスピノザがぼくの中で思考している」、その「中間」で思考することに十全に達したい。今もなお、ぼくの研究主題は「ドゥルーズのスピノザ読解」です。
 
また、今のぼくには、つぎの信念のようなものが見えてきました。それは、哲学とは、単なる思考の技術 skill ではない、ということです。ぼくはむしろ、哲学とは生き方の表現だ、と思うようになりました。ある哲学書を読解するとは、もはや戻ることのできない仕方で、その哲学者の生き方を知ることであり、哲学論文を書くとは、もはや戻ることのできない仕方で、その哲学者の生き方を、それと浸透しながら説明することです。固有名を持たない哲学は存在しないのです。ぼくたちは常に”誰かの”哲学を読み、論文を書きます。その者自身を無視して、その者の哲学を学ぶことなど不可能です。
 
ところで、哲学研究者が会社で働くということは、こういった思考が、会社内での集合的な思考において共に運動する、ということです。ぼくはメタから監査役のオファーを受けた時、それを受諾すると同時に三つだけ伝えたことがあリます。一つは「ぼくは今、あるいはおそらくかなり先まで、ドゥルーズのスピノザ解釈にしか興味がない人間である」ということ、次に「ぼくが言いたいこと、言わねばならないと感じることを言わないことができない」ということ、そして何よりも「ぼくは哲学に何ができるのかを知りたい」ということ、の三つです。
 
ぼくがぼくらしく生きることを受け入れ、むしろそれと肯定的な関係をとることに努めてくれているメタには本当に感謝しています。ぼくはスピノザの言葉に従い、そして、このスピノザの言葉を「鬨の声」であると復唱するドゥルーズに従い、常に考えています。「わたしたちは一つの身体に何ができるのかをまだ知らない」と。そして「わたしたちに何ができるのか」の限界までいってみたい、そう思って、今日もぼくは研究を進めています。
 
 

[注釈]

※1:第一のフォーマットの論文は、それ自体で文献学的寄与となる。とはいえ、この論文が現代の状況を思考する上で忘れられていたものや誤解されていることを解きほぐし、明示しているならば、この論文は読者に何かよりよく生きる上での道筋(見通しやキッカケ)を与えることもできるだろう。
※2:第二のフォーマットの論文では、例えば、「奴隷」を主題とし、前4世紀古代ギリシャのアリストテレス、16世紀フランスのボエシ、17世紀オランダのスピノザ、18世紀ドイツ観念論のヘーゲル、21世紀イタリアのアガンベンと辿っていくことができるだろう。この論文によって、人類史において、時代や場所、制度的形式にかかわらず、ずっと奴隷なるものが存在していたこと、そしてそこに何らか一貫した「奴隷性」のようなものがある、ということが明らかになったり、指し示されたりするかもしれない。
※3:第三のフォーマットは、しばしば非専門的な読者に哲学の「わからなさ」を感じさせる要因であり、いわゆる哲学のよくわからなさ、近寄り難さの印象をつくっているこちら側の要因であろう。例えば、スピノザは「存在」を「唯一の実体」のみとし、他のあらゆるもの、人間、動物、植物、社会、惑星、観念、常識etcを全て唯一の実体の変状、すなわち「様態」とみなした。スピノザ哲学において「有る」のは「実体」とその変状としての「様態」の二つだけである。そして、スピノザはこの実体を「神」と呼んだ。この意味でスピノザ哲学は「汎神論」である。とはいえ、プラトンからキリスト教神学に関わる中世哲学を経由し、スピノザに至る長い哲学的伝統や、スピノザのようにあらゆるものが、神の特殊な仕方での一部とみなされるものであり、その外部がないのであれば、スピノザ哲学は後に「唯物論」として読まれもする。哲学者たちは、こうしたいわば「フィクション」にも見えるようなことを本気で、人生を賭けて、述べてきた。これをただの戯言とするかどうか、は読者の読解力に掛かっている。そして、一度彼らの言葉を本気で、真剣に受け取ろうと努めるやいなや、その先で驚くべきviewと感動を与える瞬間があるだろう。
※4:例えば、スピノザの「自由」概念について書くとする(第一のフォーマット)。しかしそのためには、スピノザの「自由」に対立する「隷従」の概念や、それまでの哲学史における「自由」概念の系譜や当時(17世紀)の時代状況などを踏まえる必要もあり(第二のフォーマット)、そしてまずもって、スピノザの「自由」が見出されるところの人間がどのような「存在者」で、その身体や精神はどのように考えられているかを踏まえる必要もあるだろう(第三のフォーマット)。
※5:これは人が「あなたは考えていない」と言うときの問題と似ている。実際に、言われた側の人は「考えている」はずである。にも関わらず、その人にそう言われる。では、その時、そう言った人は何を言いたいのだろうか、そういった問題である。
※6:正確に言えば、「内的方法」は、「選択した」方法というよりは、外的な仕方で読む仕方を避けるために「採用された」ものである。ドゥルーズ自身は「内在」の思考を徹底した哲学者であり、またドゥルーズは、自身が研究した哲学者たちは、みなすべからく「内在」に関わる哲学者たちであったこと、そしてその中での最も内在を徹底した哲学者がスピノザであったと評している。ゆえに「内的方法」は、『表現の問題』を、研究者自身の任意の関心や暗黙の前提の元で読むことや、ドゥルーズの主著や他の著作、あるいは第二のスピノザ論である『スピノザ 実践の哲学』との関係において読むこと、要するに、「外的方法(=書物を任意の外部の視点から読む仕方)」を避けるために採用されたものである。またこれによってこの選択=採用は、先行研究(これまでのドゥルーズのスピノザ解釈に関する諸研究)への批判を意味している。言い換えれば、ここには、研究を進める中で私に芽生えていた疑念、すなわち、「ドゥルーズを研究するのであれば、そしてまた彼のスピノザ解釈を研究するのであれば、彼ら自身の思想に内在して、それを研究すべきであるように私には思われるのだが、なぜそうしていないのか?」という批判的な問いかけが表現されている。
 
 
 
Hirszenberg, “Excommunicated Spinoza”, 1907