1993年に発売されたあるスニーカー。中学生のときそれを手にしたが、すぐに失い、そして今また手に入れた、という話。

 

小学校の高学年ぐらいのときには既にスニーカーが好きだったと記憶している。なぜ好きになったのか、今もその謎はとけていない。父親も靴が好きだったことが影響しているかもしれないし、していないかもしれない。

 

中学生のとき、あるスニーカーを親に買ってもらった。うれしくてうれしくて、しばらくは履かずに枕元に置き、寝る前と起きた直後に眺めては、さわり、掲げた。これは、今も新しく買った靴に対して行ってしまう行為であり、自分の息子たちが不思議そうにその行為を見ている。

 

まだ1回履いたかどうかぐらいだったと思う。学校でみんなに自慢しようと履かずにバッシュケースに入れて持参したその日、悲劇は起きた。自転車のかごに置き忘れたことに気づき、駐輪場へ戻るたったその数分間であのスニーカーは盗まれていた。

 

友達になぐさめられ、協力してもらうも犯人は見つからなかった。あのスニーカーとの別れはあまりに急に訪れた。今、こうして活字にするだけでも胸がしめつけられるぐらいつらい出来事だった。

 

親に買ってもらったことがとにかくうれしかった。姉は厳しく育てられ、弟である自分は親に怒られた記憶がほとんどない。何かを買ってもらうということは親からの愛情を分かりやすく感じ取れるものだった。

 

「盗まれた。」と言ったらもう一度買ってもらえたかもしれない。ただ、その愛情を台無しにしてしまうのがいやで、親にどうしても言えなかった。親には盗まれていなかったことにして、「外で履くと汚れるから、体育館でバスケをして遊ぶとき用に学校に保管している。」ということにした。これを言ったときも、盗まれたことが分かった瞬間と同じぐらいつらかった。

 

中学校までは野球部だったが、高校からはバスケ部に入った。あのスニーカーが盗まれたという秘密がバスケ部を選択した唯一の理由ではないが、この秘密を秘密のままとするにはちょうど良かった。中高一貫の学校に通っていたことも、この秘密を支えてくれた。

 

30年近く経つが未だに親には秘密にしている。大人になって父親に靴をプレゼントする機会が二度あったが、その際も、あのスニーカーが盗まれたことを思い出しつつ、秘密を貫いた。親があのスニーカーを買ったことを覚えていないとしても。

 

その後、あるスニーカーは2010年に復刻販売された。生産数の少なさからか、すぐに完売となり手に入れることができなかった。今でも年に何回かはあのスニーカーを思い出し、個人出品の中古品含め検索するものの、なかなか出逢えなかった。全体の生産数の少なさに加え、28.5cmというマイサイ(自分の足のサイズ)は、スニーカーで最も生産数が多いと言われるゴールデンサイズ(27.0cm28.0cm)を惜しいことにやや外している。

 

そんな中、つい先週末、国内有数のレアスニーカーを取り扱うショップで1点ものの新古品(未着用品を個人が転売したもの)として、あるスニーカーの2010年復刻版が売られているのをネットで発見した。しかもマイサイ。値段はプレミアムが付き定価の倍以上したが、ノータイムでポチった。

 

ここまで書いたのは、そのあるスニーカーが届く前夜である。

そして、ここからは、あるスニーカーが届いた当日に書いたものである。

 

大人になってからこれまで、数多くのスニーカーを購入してきたが、届いたこのスニーカーに対して、他のスニーカーにはない感覚が生まれた。それは、スニーカーを買った感覚がしない、というもの。いったい私は何を買ったのだろうか。

 

ショップからの注意書きの書面が入っていた。

本製品は生産から期間が経過している為、着用すると破損する恐れがございます。当店はコレクション用としての保管を推奨しております。もし着用される場合は、自己責任となりますので予めご了承ください。

 

確かに復刻された2010年から12年も経過している。そして盗まれたあの日からはもう30年近くが経過している。

 

当時、あのスニーカーを失い、茫然自失となっている10代前半の少年である私のもとに、今のおじさんである私がタイムスリップする。そして、「将来もう一度手にすることができるよ。2010年の復刻版なんだけどね。」と伝える。

 

当時の親と同い年ぐらいのおじさんである私から、急にそんなことを言われて少年の私は「今、履きたいんじゃけど。ここに持ってきてくれればいいのに。あーぁ、こんなことならもっと履いときゃあよかった。」とすねる。

 

ただ、少し間を置いて、「その歳になってもスニーカーが好きなんじゃね。ウケるわ。」と言い、タイムスリップまでしてわざわざ伝えにきた将来のおじさんである私をどこかおもしろく、うれしく思う。

 

短いタイムスリップを終えて思う。これは過去の私に向かってお金を使ったのかもしれない。だから何かを買った感覚が生まれなかったのか。けど実際に今夜、このスニーカーは枕元にスタンバイされている。少年の私がおもしろく、うれしく思うなら注意書きは無視して、このスニーカーを早速履こうと思う。