ある月曜日、四人が集まった。

ボウズ、メガネ、タイダイ、ガラパン。

 

人の集まりは何らかの共通の嗜好、目的やらを持っていたりすることが多いようだが、この四人はそれらを持ち合わせているのか。 持ち合わせていない集まりは、いったいなんなのだろう。

この四人に対面した人は、脳内で様々な想像を試みるだろう。外観的特徴から何らかの共通点を引っ張り出そうと、脳内カテゴリーにアクセスし、照合処理が行われる。しかし、この四人に対しては、それは儚くも失敗に終わる。

そんな儚き四人が真鶴に漂着した。

どうして、真鶴に行くのかを確認せず、はい、行きます、と勢いだけで応答した私。真鶴とは一体どこなのかも知らなかった。誰かが旅程を決めてくれる旅は楽である。真鶴へ向かう途中で立ち寄るスポットが決定されていくチャットを眺めながら、決めてくれる人がいるのは最高だな、と己の判断に関する省エネモードを改めて実感した。何なら仕事の時も省エネモードでいられるならなお最高である。

この四人の組み合わせで出かけることが初めてだった。タイダイもガラパンもメガネの車に乗り込み、ボウズは一人で車を走らせた。普通は同人数2:2で乗車するだろうが、なぜか3:1という構成だった。あ、ボウズ一人だね、といった会話は出たが、車窓から蒲鉾屋を見つけた途端その事実は一瞬で"かまぼこ"によって意識の端っこの方へ押しやられた。

とにかく暑い日だった。どんな観光スポットや立ち寄った温泉より、暑い、というのがこの真鶴の旅の印象だった。おそらく軽い熱中症だったのだろう。旅の途中の記憶が飛んでいる。異様に近いトイレも後から考えると熱中症の症状であったようだ。夜に行った真鶴の居酒屋でも、異様に冷えたところてん、というよりところてんの酢の効いた汁を奪い合うように食したことからも、身体に異常をきたしていたのは間違いのないところだろう。

その居酒屋にて、隣の席は近隣のご夫妻らしきお二人。我々四人はこの二人からはたして、どのように見えているのだろう。映画のなんちゃって家族のように、悪事を企てるために集まった見ず知らずの四人、とはまさか思っていないだろう。しかし、なぜか、チラチラと視線を感じる。悪いことなぞ縁もゆかりもないのに、見られると何かまずいことをしたような気になる。せっかくの真鶴なのにところてんばかり食べすぎたか。

居酒屋から宿に向かう道でコンビニに立ち寄り、タイダイとガラパンはアイスをボウズに買ってもらった。メガネが迷っている間に三人はさっさと外でアイスを食べ始めている。待つようなことはしない。そういうんじゃない。棒のアイスは、棒の味がうつるから好きじゃない、と誰かが言った。

宿の人は、到着した四人を見つめながら、我慢できない様子で、どういったお仲間なんですか、と訊ねてきた。タイダイは聞こえるか聞こえないかくらいのウィスパーボイスで答えていたが、宿の人には全く伝わった様子がなかった。ガラパンは当初からメガネが答えるのを期待してか、宿の中をキョロキョロ見回していた。ボウズは店内にあった干物屋のパンフレットに食いついて、何も聞こえていないようだった。

宿は二人部屋が二部屋。流石にここは2:2と定員に合わせて泊まる。私はといえば、我先にシャワーを浴び、歯を磨き、当座のトゥドゥーを消し込み、いつでも寝られる環境を整える。省エネモードへ。ボウズがソファーで寝落ちしていた。ボウズ、歯磨かないで寝てるわ、と誰かが言った。



翌朝、昨日と同様の快晴を通り越した炎天下。四人は起伏のある真鶴の町をふらつきながら、なんとか漁港へとたどり着いた。太陽から逃げる場所がないだだっ広い漁港で四人で記念写真を撮ってもらった。お願いしたわけではないが、断る理由もなく、いざなわれるままに四人で棒立ちして撮られたわけである。

なんとも違和感ある四人の写真を眺めながら、これは家族だな、と誰かが言った。そうか家族か。

今日はこの四人が家族なんだよ、明日はまた違う家族かもしれない、とまた誰かが言った。そんなもんか、と炎天下にさらされた頭には妙にしっくりときたのであった。

真鶴からそれぞれまた別の家族のもとへ帰っていく様を見つめながら、ただ一緒にいる、ある、ということについて思いを巡らせた。

後日、また違う家族とコンビニでアイスを買って食べていると、棒のアイスは、棒の味がうつるから好きじゃない、と誰かが言った。