2020年3月、京都・奈良でフィールドワークを行った。

共にしたメンバーは、アプリ開発エンジニアチームのしんちゃんとジャックの2人である。仕事の性質上、普段は外に出る必要がない2人と奈良を一日中歩き続けた。そのときの会話が、フィールドワークについて改めて考えるきっかけとなったので、書き記しておこうと思う。さて。

わたしたちにとってのフィールドワークとはどのようなものだろうか。

奈良公園から高校時代の記憶へ。

奈良公園はとにかく広かった。なめていた。とにかく歩きながら色々なことを話した。
まず、問いかけマンのしんちゃんに、「佐藤はいつからフィールドワークを始めたのか?」と聞かれ、「(相変わらず、鋭い、かつ、抽象的な問いかけをしてきやがる…汗)」と思いつつ、思索を巡らせながら話を始めてみた。

僕は高校時代、バイトをして金を稼ぎ、長期の休みになると、どこか旅にでかけるということをやっていた。
母校の春・夏休みは1ヶ月〜1ヶ月半くらいの期間であり、長期旅行にはぴったりで、最低でも1週間以上の旅程を立てることが多かったことを記憶している。春・夏休みごとに、四国、九州、北陸、東北、北海道…いってしまえば、日本全国を旅していた。結果、47都道府県のうち、訪れたことのない県は、宮崎県、山口県、和歌山県の3県となった。(都道府県単位で示すことに何の意味があるのかは不明であるが)

高校1年の春休みには、京都・奈良に旅に出た。今思えば、これが僕の初めてのフィールドワークだったように思う。大量のインスタントカメラを鞄に詰め込んで、青春18きっぷで東海道線に飛び乗った。今思いかえしてみて、不思議なことは、当時はカメラや写真にことさら興味があったわけではないのに、やたらと写真を撮っていた記憶があるということだ。そして、更に不思議なことに、その時の写真や手帳はどこかに行ってしまった。その時の写真や記録をみてみたいような気もするが、黒歴史のような気もするので良かったのかもしれない。(確かに今も、過去に撮った写真をあまり大事に保管していない。バックアップがとんでしまっても慌てない。)

さらに記憶を辿ってみると、とにかく寺社仏閣を歩いて回ったことを思い出す。何より強く記憶に残っているのは、ユースホステルで大学生と仲良くなったこと、そして、大学生に東大寺のお水取りに連れて行ってもらったことだ。とにかく、色々なことを話したことや、眠くて熱かったことを思い出す。ただ、その内容や大学生の名前、連絡先も記録どころか記憶にも残っていない。本当にその人といったのだろうか、と思うほどに。ただ、確かに、自分の身体には善き記憶として刻まれている感じはする。

このときのことについて、M^エンジニアチームに話したことがきっかけとなり、今回のフィールドワークに来ることになったのだった。なんだか不思議な縁だ。

ということを、もう気が遠くなるような広さの(大袈裟な)奈良公園を歩きながら話していて、「あっ、なんかいまわかったかも」という感覚になったのであった。

「わたし」のフィールドワーク

端的に“フィールドワーク”と言っても様々な種類があるものと認識している。人類学でいえば、研究テーマに合わせて任意のコミュニティや集団と生活を共にし、比較的、長期間もしくは継続的複数回の参与観察が行われる。また、生態調査においては、山野に1週間ほどキャンプを張り、生物の生態を観察するようなものもあるだろう。もちろん、同じ学問領域であっても、人によってスタイルや方法は変わるものであろうと思う。そういえば、恩師(経済学の教授)でさえ、「フィールドワークが何よりも大事だ」というようなことを、これでもかと説いていた。

僕のいうフィールドワークは通常、上記のものとは一致しない。これらを含む広い意味で使っている。どういうことか。これらを含む、ということには2つの意味がある。一つは、“フィールドワーク”で行われる行為や体験はとにかく(擬似的であっても)やってみようということである。もう一つは、フィールドを固定化したり限定しすぎないということである。つまり、普段から、フィールドワークでやっている行為を意識的にも無意識的にもとりあえずやっていくということである。それをフィールドワークと呼ぶことで、少しスイッチを入れてみるような。「わたし」のフィールドワークとは、そのような言葉である。散歩や観光、それこそ日常生活まで、何でも含めてしまおうとしているのだ。ずるいといえばずるい概念である。

では、フィールドワークでは、どのような行為をし、体験しているのだろうか。
(この文章を書いていて、非常に難しいと思った。行為、体験、、、これらの単語で表現できているのかどうか、、、難しい)

一見、観光のように見えるかもしれない。「なんだ、ただの観光じゃん」と。側から見ればそうかもしれない。けれど、僕にとっては、そこへ行き、何かを読み、知り、見て、写真を撮ったなどということにとどまるものではない。世間一般に認識されている場所にいく。そのような場所は(史跡であれば当然に)、古代からなる由縁が幾重にも重なって、それが歴史となり史跡として認識されている。そのように記録されている、と言った方がいいだろうか。それは、“世間一般的に”という限定付きの認識や記録でしかないものだ。

もちろん、多くの人の力により、様々な調査・研究がなされ、保存・保管にも力が入れられるからこそ、僕たちが触れられるのだ。それを否定するつもりはない。ただ、世間一般の話ではなく、その存在に向き合い、僕がどう関与しているのかということこそが、重要なのではないかと思う。今回でいえば、その史跡を眼前にして、僕としんちゃんとジャックがどういう言葉を発して、その時空間の中で自分自身を含むこの状況をどう意味づけているのか、それによって僕たちがどう変化するのか、ということこそが、「わたし」のフィールドワークにとって重要であるということだ。

「わたし」のフィールドワークとは、その事物を“ダブルクオーテーション付きの言葉”として知ることだけではなく、事物に触れたときの自己や事物の変化として知る、体感するということのような気がしたのだ。

奈良と京都でわかったこと

具体的に、今回のフィールドワークで起きた事象を例にあげてみる。

お水取りという儀礼は、1200年以上続いており、その歴史的な流れの中で、高校生の僕と大学生の出会いという出来事が転じて、僕たちの今回のフィールドワークが起こり始めたのだと、僕は感じている。

世界遺産である元興寺に訪れ、寺社としては小さいながら、石碑石仏が日本各地からこの場所におさめられ肩を並べている様に、メタの場としての性質がみいだされ、新しい意味がたちあがってきた。そして、これはメタのコンセプト文にもつながっている。

メンバーお気に入りの喫茶店で、マスターと世界中の珈琲豆の希少種について語り、びっくりするくらい美味しいコーヒーを飲みながら、身体が弛緩することで、その場にいた人たちの関係が変化し、新たなアプローチのアイデアが浮かんできた。

etc...

これらは今回のフィールドワークから現れたほんの少しの例でしかない。

小難しく書くのが悪いくせだ。端的に言ってしまえば、その場にいて気がつくこと、その場から離れて気がつくこと、その両方が混ざり合い、「あー、そういうことになっていたのか!」と、より面白くなる、ということだ。

さて、長くなってしまった。けれど、まさにこういうことが、「わたし」のフィールドワークである。それが、今回3人でフィールドワークをしてみてわかったことであった。

“言葉”としてではなく、その場にいた僕が「わかった」。

それがとても大切なことだと思う。

さあ、「わたしたち」のフィールドワークとはどのようなものだろうか。

あとがき

と書くと、まじめで硬い印象になるのが、本当に悪い癖。

実情はもっとゆるい、はげしくゆるい。奈良公園を3時間弱歩き、「大仏でかっ!」と言いながら、ぜんざいを食べつつ「甘すぎっ」とつぶやき、二月堂でお水取りの時間までまったりしたり、「これ、われわれおっさんたちは筋肉痛になるよね、確実に。」とか話していた。しかも、30代のおっさん3人が、だ。辛い。

きっとこういうことが、わたしたちや世界が変わっていくその一筋なのだと信じたい。

筋肉痛だけに。