会話と感触
先週、フィールドワークのため、金沢にいってきた。
これは毎年恒例にしている誕生月のリトリートも兼ねていた。蓋を開けてみれば、ずっとホテルに引きこもり、少しの時間、サウナとアイソレーションタンクで身体の調子を整えただけで、クライアントワークばかりしていたと記憶している。(それをフィールドワークと呼べるのか。)
金沢から帰ってからは、クライアントワークばかりしていて、身体の調子を整えたはずが、たった1週間程度で雲散霧消した。あれは1週間前の出来事だったのか、いやそもそも本当に金沢に行ったのかさえ疑わしいくらいだ。
そういえばここ数ヶ月、写真をほとんど撮っていない。現像ソフトの数字を見れば明らかで、年が明けてから撮った枚数は300枚だ。これは、丸一日出かけた時の撮影枚数の半分ほど。それが2ヶ月弱かけて撮った数。あきらかに少ない。さらに加えれば、金沢では1泊2日で20枚しか撮影していない。異常事態。
なんでこんなことになってしまったのだろう。クライアントワークは嫌いではないのだ。ただ何かがおかしい。この3ヶ月間、何もできていない、というよりも何をしていたかよくわからない。どうしたらいいのか、何をしたらいいのか。
そう思い続けていたようだ。
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「ようだ」というのも、そもそもこんな状態になっていることに気がついたのは、昨夜新幹線の中で、友人の文章を読んだことがきっかけだ。気がついてさえいないことに、気がついた。気づきが大事だ、とクライアントの前で喝破する自分を思い出して、少し笑ってしまう。
その友人の文章は、諸種の事情により直接の引用をせず意訳とするけれども、「わたしは日々、(未だ)見知らぬ人(物事)に囲まれて生活している。ふとしたときに、見知らぬ人(物事)たちと遭遇する。そのとき、ここにいるはずのわたしが消えて、そこにはただ、感触だけが残る」というような文章だった。
この文章を読んだとき、久しぶりに人と会話した、と思ったのだ。不思議なことに。
そして気がついた。最近のぼくには会話さえ、感触さえも残っていなかったのだ。
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これに気がつけたのは、もう一つ、金沢のフィールドワークでのアイソレーションタンクの経験があったからだろうとも思う。自分という存在が消えて、感触だけが残る。そういう体験だった。擬似母胎の記憶と、友人と文章との会話。
この文章を書くことで、僕の感触は残るだろうか、「痕跡」として何かを果たすだろうか。そうなってくれよとささやかに祈りながら、今ぼくはカメラを握って雪が降り始めたホームを歩いている。